岩手大学図書館の蔵書の中からおすすめの一行を紹介します(ほぼ月1更新)
●2行目(2017年10月)
小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。(ミヒャエル・エンデ作/大島かおり訳「モモ」)
●3行目(2017年11月)
わからないところで断念するのではなくて、飛ばして先に進む勇気があるかないか、それが読書の境目。(芦田宏直「努力する人間になってはいけない」)
●4行目(2017年12月)
その場にその人がいなくても、優しい気持ちはちゃんと空間を作っていくんだと思う。(瀬尾まいこ「見えない誰かと」)
●5行目(2018年1月)
歴史は決して二度と繰返しはしない。だからこそ僕等は過去を惜しむのである。(小林秀雄「小林秀雄全作品13 歴史と文学」)
●6行目(2018年2月)
沢山の本は有機的に絡みあい、本の集合体として私を変えた。(二階堂奥歯「八本脚の蝶」)
●7行目(2018年3月)
一度くらい夢に出てきてほしいです。あいたいですね。(「生きた証:東日本大震災犠牲者回顧録」)
●8行目(2018年4月)
障害者とは、健常者が使っているものを使わず、健常者が使っていないものを使っている人です。(伊藤亜紗「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 )
●9行目(2018年5月)
「女の子の名前はみんなオーレンカ」という傾向(阿部日奈子「海曜日の女たち」)
●11行目(2018年7月)
正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。(宮沢賢治「新編銀河鉄道の夜」所収「マリヴロンと少女」)
●12行目(2018年8月)
今、我々の周囲には陽が射し、温もりが我々を脆弱にしはじめている。(志村ふくみ,志村洋子「たまゆらの道」)
●13行目(2018年9月)
学校の先生を内心バカにしないやうな生徒にろくな生徒はない。(「三島由紀夫全集 29巻」所収「不道徳教育講座」)
●14行目(2018年10月)
自分は何も知らないのだということに気づく。これが、実はとても大切なことなのではないかと思うんです。(内田樹 [ほか] 「学ぶということ」)
●15行目(2018年11月)
世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。(村田沙耶香「コンビニ人間」)
●16行目(2018年12月)
書物を読むのは極悪う御座います。有体に云うと、読書程修行の妨になるものは無い様です。(夏目漱石「門」)
●17行目(2019年1月)
信じるべきものは、すべて言葉になっている。(九螺ささら「神様の住所」)
●18行目(2019年2月)
ありのままの姿を周囲に認めてもらえる人間なんか、めったにいない。世の中は間違いだらけだ。(ピーター・S.ビーグル著 ; 金原瑞人訳「最後のユニコーン」)
●19行目(2019年3月)
私は今もって、研究の動機については、「自分でもよくわからない」と答えるしかない。(小熊英二「「民主」と「愛国」」)
●20行目(2019年4月)
あなたには哲学を役立てるだけの知恵と力と勇気があるのか?(戸田山和久 「哲学入門」)
●21行目(2019年5月)
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。(吉本ばなな「キッチン」)
●22行目(2019年6月)
学びというのは、役に立たなければ立たないほど面白い。(安田登「あわいの力 : 「心の時代」の次を生きる」)
●24行目(2019年11月)
僕は、沈黙を、夜を、書き現した、僕は言い表し得ないものを書き留めた。僕は眩暈を定着した。(堀口大学訳「ランボー詩集」)
●25行目(2019年12月)
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風を食べ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
(宮沢賢治「注文の多い料理店」序(「宮沢賢治全集8」)
●26行目(2020年1月)
「女でいることが、どれくらい痛いかだよ」(川上未映子「夏物語」)
●27行目(2020年2月)
目標を持って、日々努力し、どんな仕事でも心を込めることができる人が、プロフェッショナルだと思います(新津春子「世界一清潔な空港の清掃人」)
●28行目(2020年3月)
私、わかりません。わかりませんけど、私「正義」というものが大嫌いです。(佐野洋子「ふつうがえらい」)
●29行目(2020年4月)
彼らには新しい生き方がなければならない。わたしたちの未だ経験したことのない生き方が。(魯迅「阿Q正伝 ・藤野先生」 )
●30行目(2020年5月)
「20代で土日が楽しみになったらおしまいだよね」(久松達央「小さくて強い農業をつくる」)
●31行目(2020年6月)
平穏な世が続くと、人の話す言葉は短く、やがてはきれぎれになる、と言われます。(古井由吉, 佐伯一麦「言葉の兆し : 往復書簡」)
●32行目(2020年7月)
意味体験を概念的自覚に導くところに知的存在者の全意義が懸っている。(九鬼周造「「いき」の構造」)
●33行目(2020年8月)
「ばらばら」でありながらも、いや「ばらばら」であるからこそ、彼らはつながることができる。(小川さやか「チョンキンマンションのボスは知っている」)
●34行目(2020年9月)
『それにしても、悪は可能であろうか?』(三島由紀夫「金閣寺」)
●35行目(2020年10月)
もちろん、書くことの大半は待つことである。(アーシュラ・K.ル=グウィン「ファンタジーと言葉」)
●36行目(2020年11月)
人に好かれようとするよりも、人を好きになる方が、断然面白いことだと思わないか。(池田晶子「14歳の君へ : どう考えどう生きるか」)
●37行目(2020年12月)
伝える者がいなくなったとき、暗黒の世界が人々を支配する。(山本美香「ぼくの村は戦場だった。」)
●38行目(2021年1月)
物語というのは生きていて、切れば血が出る。(岸政彦「断片的なものの社会学」)
●39行目(2021年2月)
不寛容は検閲を生み出し、検閲は他人の論理への無知を増大させるから、結果として不寛容を増大させる。
(プリーモ・レーヴィ「溺れるものと救われるもの」)
●40行目(2021年3月)
肝心のところは自分で考えなければならない。教師が悪いとか、友達が悪いとか言ってもしょうがない。(結城浩「数学ガール」)
●41行目(2021年4月)
我々の期待と願いに反して、天才はサボらない。(読書猿「独学大全」)
●42行目(2021年5月)
わたしはアートってものを信じない。アーティストってものを信じてます。(マルセル・デュシャン「アフタヌーン・インタヴューズ」)
●43行目(2021年6月)
「だって夏ですもん。夏って、でっけー目で見たいもの、いっぱいあるじゃないですか」(くどうれいん「うたうおばけ」)
●44行目(2021年7月)
創出は生じるままにしておくこと。ある創出に、また別の創出が続いていくから。(ジル・クレマン「動いている庭 : 谷の庭から惑星という庭へ」)
●46行目(2021年9月)
私は歴史を客観的事実としてよりも、一人一人の人生の物語の集合として理解したいと思う。(村本邦子「周辺からの記憶 : 三・一一の証人となった十年」)
●47行目(2021年10月)
都市は、歓喜の岸の間を流れる川のように、密度の濃い物質が巡回する場である。(フランコ・ラ・チェクラ「反建築 : 大規模開発と建築家」)
●48行目(2021年11月)
「お話は大事なの。食べものと水が大事なように」(クリス・ヴィック「少女と少年と海の物語」)
●49行目(2021年12月)
活版印刷は沈黙の声を潰してしまった。(マーシャル・マクルーハン「グーテンベルクの銀河系 : 活字人間の形成」)
●50行目(2022年1月)
自然は法則に従うものであるという信仰なしには、いかなる科学もありえない。(ノーバート・ウィーナー「人間機械論 : 人間の人間的な利用」)
●51行目(2022年2月)
「真に卓越した企業と、それ以外の企業との違いはどこにあるのか」(J・C・コリンズ [ほか]「ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則」)
●52行目(2022年3月)
わたしたちの生きる世界は、多くのできあいの物語とほんの少しの新しい物語によってできている。
(野口裕二「物語としてのケア : ナラティヴ・アプローチの世界へ」)
●53行目(2022年4月)
この地上で、唯一私たちだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのだ。
(リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」
●54行目(2022年5月)
わたしがおまえを滅ぼすとして、それがおまえとなんの関係がある?(劉慈欣「三体 黒暗森林(下)」)
●55行目(2022年6月)
大切なのは、「私」という「小さな主語」で考えることです。(荒井裕樹「まとまらない言葉を生きる」)
●56行目(2022年7月)
あなたのデザインに、そして人生にも、空白がたくさんできることを恐れてはいけません。(Robin Williams「ノンデザイナーズ・デザインブック」)
●57行目(2022年8月)
「言葉」は人が自らの感性を守る手段であり、それが力で歪められる状態を許してはならない。( 嶋田博子「職業としての官僚」)