氏 名 まつだ しゅういち
松田 修一
本籍(国籍) 青森県
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第518号
学位授与年月日 平成23年3月23日 学位授与の要件 学位規則第5条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物資源科学専攻
学位論文題目 ブナにおける環境応答性遺伝子に関する研究
( Molecular studies on genes responsive to environmental signals in Fagus crenata )
論文の内容の要旨

 ブナ( Fagus crenata ) は日本の森林を構成する代表的な樹種であるにもかかわらず、 スギのように林業的に重要な樹種ではなかったため、育種などが積極的に行われることがなく、 遺伝子レベルの研究が乏しい樹種である。 これまでのブナにおける遺伝子レベルの研究は主にアイソザイムや、ミトコンドリア、葉緑体、 マイクロサテライトなどのマーカー遺伝子を用いた生態学的見地からの知見が多い。 これらの知見は、これまでのブナの分化の過程を知る上で非常に重要であるが、 今後の環境変化に対してブナがどのように適応していくことができるのかを知る上では不十分である。

 本研究ではブナの環境応答機構の知見を蓄積するため、シロイヌナズナでファミリーの中に様々な 環境適応性を示すメンバーがあることが知られている R2R3-MYB と日長や温度などの環境に 応答する遺伝子である CO, LHY に焦点を当て、これらの遺伝子のブナにおける役割を解明すべく研究を行った。

 まずブナから85種類の R2R3-MYB を単離し、環境馴化に関わると考えられる多くの候補遺伝子を同定した。 同定した遺伝子や完全長を同定した代表的な遺伝子を用いて分子系統解析を行った結果、 ブナの R2R3-MYB ファミリーの興味深い点が明らかになった。 同定した全てのブナの R2R3-MYB とシロイヌナズナの全ての R2R3-MYB の分子系統解析を行った結果、 多くのブナの遺伝子はシロイヌナズナのサブグループに含まれる遺伝子と共にクラスターを形成し、 オーソロガスな関係が示唆され、この関係は完全長を比較することによりさらに強く示唆された。 さらにブナの R2R3-MYB の多くの遺伝子はいくつかの増幅しているクレードを形成しており、 これらの遺伝子の多くはECFCに属していた。 General flavonoid pathway やTT2-related subcladesの中で比較するとシロイヌナズナの遺伝子に対し、 ブドウやポプラの遺伝子は増幅しており、ブナでも同様に増幅していた。 またシロイヌナズナのサブグループ2に密接に関連したブナの増幅したクレードは、明瞭な2つのクラスに分かれ、 一方のクラスにはシロイヌナズナの遺伝子は全く含まれなかった。 従って、これらの遺伝子が現在も進化途中、もしくはブナ集団の高いヘテロ接合度によって 環境変化に対する遺伝的資源としている可能性がある。 これらの遺伝子の遺伝的多様性と機能的解析のさらなる研究によりこれらの推測を論証する必要がある。 次にブナの R2R3-MYB の定性的な発現解析を行うことにより、FcMYB は季節変動や、 様々な非生物的なストレスに応答して発現しており、それぞれ特徴的な発現パターンを持っていることが示唆された。 夏期にはFcMYB3202, FcMYB1403, FcMYB0102が強く発現していた。 これらの遺伝子のシロイヌナズナにおけるオーソログの機能はそれぞれ、 フラボノイド合成系、気孔開閉、葉腋メリステムの調節等に関わっている。 従って、この時期にはUV-Bなど様々なストレスに対する防御、また積極的な蒸散やガス交換、冬芽形成などが行われていたことが推測できた。 一方秋期にはFcMYBX01, FcMYB3504等が強く発現しており、これらの遺伝子のシロイヌナズナにおけるオーソログが、 花特異的な発現を示し、COP1を介した光形態形成経路、エチレン・ABA・ジャスモン酸などに応答する経路で働く遺伝子であること知られている。 従ってブナの遺伝子は秋期に様々なストレスの負荷に応答しており、さらに光形態形成経路が正常に作用していないこと可能性が推測された。

 シロイヌナズナでの CO 遺伝子の発現は、日周期的なリズムを持っていることが報告されていたが ブナの FcCO の発現も日周期的なリズムを持っていた。 またポプラでは、緯度が異なる地点から採集した個体を同一条件で生育させた場合、 CO 遺伝子の発現のピークが表われる時間帯が異なると報告されているが、ブナでは同様の現象は見られず、 FcCO の発現のピークが表われる時間帯の南北間での相違は見られなかった。 従ってブナではポプラでの現象とは異なり、遺伝的バックグラウンドではなく、 環境条件によって FcCO の発現のピークが制御されていることが示唆された。 またシロイヌナズナで CO を間接的に制御していることが知られている LHY の ブナにおけるオーソログである FcLHY の発現は、シロイヌナズナでの報告同様、夜中から朝方にかけて発現が高く、 日中には発現が抑制される発現パターンを示し、ブナにおいてもシロイヌナズナと同様に 日周期的な発現変動パターンを維持していることが示唆された。 この発現パターンは秋期を除いて季節の変遷に関わらず同様な発現量と発現パターンを維持していた。 しかし、秋期には FcLHY の発現は日周期的な発現変動パターンを維持しておらず、 この時期には FcLHY, TOC1 を中心振動体とする概日時計は機能していないことが示唆された。 また FcLHY の秋期の発現には南北の個体間での差異があり、 弘前の個体では FcLHY の発現がほとんど確認できないのに対し、 鹿児島由来の個体では日周期的な発現変動パターンは崩れていたが、発現量は比較的維持されていた。 同様な現象は FcMYB1201 においても確認され、秋期の FcMYB1201 の発現が、 弘前の個体に比べ、鹿児島由来の個体で高い状態が維持されていた。 ただし FcMYB1201 の発現解析は定性的な解析であるため、定量的な解析を再度行う必要がある。 しかし南北の個体を同一条件にて生育させた場合に展葉や落葉の時期がずれることからも、 南北の個体間ではフェノロジーが遺伝的に異なっている可能性があるのではないだろうか。 この仮説の論証は今後の研究課題である。 本研究はブナの環境応答性遺伝子の知見を蓄積できた点において意義があると思われる。 本研究の知見が今後のブナの遺伝子レベルの研究に寄与し、ブナ林の保全につながれば幸いである。