氏 名 つしま まさあき
対馬 正秋
本籍(国籍) 青森県
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第509号
学位授与年月日 平成22年3月31日 学位授与の要件 学位規則第5条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物生産科学専攻
学位論文題目 カイコ冬虫夏草によるマウス脳機能改善効果に関する研究
( Improving effects of the brain function in mice by Paecilomyces tenuipes from the silkworm pupae )
論文の内容の要旨

 薬理的冬虫夏草( Cordyceps sinensis )は,昆虫に寄生する昆虫病原菌類の一つで, 分類学上,子嚢菌類のバッカクキン科,コルディセプス属に属する. 冬虫夏草の生理活性能としては,糖尿病,心血管疾患,癌や代謝病を防ぎ,抗酸化作用,免疫調節作用, インシュリン抵抗性の減少とインシュリン分泌物の増加作用,抗高脂血症効果,抗腫瘍,抗炎症作用などが報告されている. しかし, C. sinensis はチベット等の山岳地帯でのみ収穫されるため,高価で入手困難,安全性やトレーサビリティの面で課題がある. そこで本研究では,福島県の養蚕農家で使われている実用品種のカイコ蛹を宿主とし, 同県山岳地帯で採取されたハナサナギタケ( Paecilomyces tenuipes )に着目し, カイコとハナサナギタケの組み合わせによる高機能性を解析することで,QOL向上を目指した新しい昆虫生産物の開発を提案した.

 第一章では,ハナサナギタケの菌株をカイコ蛹で人工培養したカイコ冬虫夏草の子実体と宿主全体を用い, 熱水抽出法により抽出物(PTE)を得た. この原料としたカイコ冬虫夏草粉末には多種のアミノ酸が含有され,中でも脳機能改善に効果があるといわれるアラニン, フェニルアラニン,チロシン,イソロイシン,グルタミン酸,セリン,トリプトファン等が多量に含まれている. 熱水抽出法では,多糖類とタンパク画分が得られることと,逐次抽出法におけるMQや有機系溶媒抽出物に含まれる 広い範囲の物質まで抽出が可能であると考えられ,カイコ冬虫夏草からのPTE抽出収量が65.7%と高率であったことと併せ, PTEには幅広い有効成分が含まれていると考えられる. さらに,多様なビタミン類やβ-グルカンの含有量の多さも注目される. そのPTEをD-galactose誘導性脳老化モデルマウスに投与し, in vivo での脳神経系への影響の評価を目的とし, 文脈学習・記憶能を分析するためのステップスルー型受動的回避実験と,空間学習・記憶能を分析するための モリス水迷路実験の2種類の行動実験による機能解析を行った. ステップスルー型受動的回避実験は,実験初日に明室から暗室に入ると電気刺激を受けるという記憶を学習させ, その翌日にその記憶の定着状況を計測するもので,PTE x 25 mg/(kg-day)の高濃度のサンプルを投与した群が, 老化群(AC)群に比べて暗室側に入るまでの潜伏時間が有意に増加した. 一方,モリス水迷路実験は,実験用プール内の水面下に設置したプラットフォームの位置をマウスに7日間に わたり学習させる訓練を行ない,プールへの投入からそのプラットフォームにたどり着くまでの反応潜時から学習・記憶の推移を比較した. PTE x 5 mg/(kg-day)の低濃度のサンプルを投与した群が,プラットフォームまでの平均反応潜時がAC群と比較して有意に短縮した. また,8日目には,水面下に設置していたプラットフォームを撤去し、 プールに投入されたマウスがプラットフォームの元位置を記憶しているかを評価するプローブテストを実施したところ, PTE低濃度群が,プラットフォームの元地点でのクロッシング回数がAC群に比較して有意に増加した. さらに、プラットフォームがあった領域での滞在時間が,PTE低濃度ならびに高濃度とも, 他の領域での滞在時間よりも有意に長かった. 一方,ノーマルコントロール(NC)群とAC群は,プラットフォームがあった領域に有意に滞在しなかった. これらの行動実験結果から,PTEの経口摂取がD-gal.誘導脳老化モデルマウスの文脈ならびに空間に関する 学習・記憶能力を向上させる可能性のあることが示唆された.

 第二章では, 分子生物学的解析として,第一章の行動実験に用いた脳老化誘導モデルマウスから脳を摘出し, アルツハイマー病(AD)型認知症で減少する脳内アセチルコリン(Ach)合成酵素である コリンアセチルトランスフェラーゼ(ChAT)遺伝子の発現パターンをRT-PCRにより分析した. NC,PTE高濃度,PTE低濃度,ACの順にChATの発現の強さが低下していることが確認された. また,組織化学的解析として,脳切片に神経細胞を特異的に観察できるホルツァ染色処理を施し, AD型認知症の脳内で特異的に発生するグリオーシスの発生状況を観察した. その結果,AC群で顕著な反応性グリオーシスが空間パターン認識を司る部分である海馬CA3領域に発生していることを確認した. 低濃度及び高濃度のPTEを投与した群では,濃度依存的にグリオーシスが減少または消滅することが観察された. これらの結果,PTEには老化にともなって発生したニューロン損傷箇所を修復し,脳機能改善効果を有することが示唆された.

 以上のことから,ハナサナギタケの寄生によるカイコ冬虫夏草熱水抽出物が, これまで報告されていないD-gal.誘導性脳老化マウスの脳機能改善効果を有するという新たな知見を得ることができ, ヒトのQOL向上に寄与できる可能性を見出した.