i 2009連合農学研究科博士後期課程 連研第486号
氏 名 いとう ようこ
伊藤 陽子
本籍(国籍) 宮城県
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第486号
学位授与年月日 平成22年3月23日 学位授与の要件 学位規則第5条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物生産科学専攻
学位論文題目 ホップ矮化ウイロイドの多様性と宿主適応に関する研究
( Studies on Hop stunt viroid nucleotide sequence variation and host adaptation )
論文の内容の要旨

1. はじめに

 ウイロイドは現在知られている最小の病原体で、ジャガイモ、キュウリ、トマト、キク、ホップ、カンキツなど、 様々な農作物に感染し重大な病気を引き起こす。 その本体はわずか246~401ヌクレオチドのRNAで、環状1本鎖という自然界では極めて異例の特異的な分子構造を持つ。 ウイロイドは感染植物に矮化、葉巻、壊疽という様々な重篤な病状を引き起こすにもかかわらず、タンパク質情報をコードしない ノンコーディングRNAの一種であり、その特異な分子構造中に自律複製及び病原性を制御する全てにかかわる情報を含み、 病原性発現には病徴回復現象を引き起こすRNAサイレンシングとの深い関連が指摘されている。
 本研究は果樹類を中心に世界中に広く分布しているホップ矮化ウイロイド(Hop stunt viroid; HSVd)が、 農作物の長い栽培歴の中でどのようにして分布域と宿主域を拡大してきたかを考察するため、 ウイロイドの塩基配列の多様性と宿主適応過程の分析を行なった。

2. ホップ矮化ウイロイド自然分離株の分子進化と宿主適応

2.1材料及び方法

 ホップ矮化ウイロイド(HSVd)の主要な自然変異体であるホップ、ブドウ、カンキツ、スモモ株をホップに感染させ、 現在(平成21年12月)まで18年間持続感染状態で維持栽培されている。 接種~現在まで感染株の茎葉から抽出した核酸試料が保存されており、本研究では、 接種源、5、10及び15年目の保存試料から子孫HSVdを分離・クローニングして、 合計300個以上のcDNAクローンの全塩基配列を決定した。 以上15年間の持続感染期間中に生じた変異体と日本のホップ栽培地域で流行しているHSVd-ホップ自然分離株の データを合わせて分子系統解析を行なった。

2.2結果及び考察

 ホップ-15年間持続感染中に生じた様々な変異体の分子系統解析の結果、ブドウ分離株は、 少しずつ変異し15年後にはホップ分離株と同一のクラスターを形成するようになった。 一方で、カンキツ分離株とスモモ分離株はホップ分離株とは異なる方向に変異した。 以上の結果は、ブドウ分離株がホップに感染し宿主適応することによって、ホップ分離株が生じたことを示唆する。 合計308個のcDNAクローンの変異箇所を解析した結果、HSVd全ゲノム297塩基中74箇所で変異が検出された。 この中で複数のcDNAクローンに共通して見られた変異を抽出した結果、ブドウ分離株とホップ分離株の変異は 第25、26、54、193、281番の5箇所の塩基に限定され、それぞれの変異が生じるまでの年数は様々であったが、 年数の経過とともにおおよそ54→25・281→26→193の順番で子孫HSVd集団内に蓄積される傾向が認められた。 持続感染15年目には第25、26、54、193、281番のうちの4箇所或いは5箇所全ての変異を有する変異体が優占し、 これらの変異体は日本のホップ栽培地域で流行している優占変異体であるhKF76或いはhKFKi変異体と完全に一致した。

3. HSVd-ブドウ株の感染性cDNAクローンの塩基変異プロセスの解析

3.1材料及び方法

 HSVd-ブドウ株の感染性cDNAクローンから調製したRNA転写物をホップに感染させ、 現時点(平成21年12月)までに10年持続感染状態で維持栽培されている。 接種源、5及び10年目に子孫HSVdを分離・クローニングして、193個のcDNAクローンの全塩基配列を決定した。 これらを前章で分析したHSVd-ブドウ分離株とHSVd-ホップ分離株の塩基配列の変異箇所及び変異が生じる過程と比較解析をした。

3.2結果及び考察

 HSVd-ブドウ分離株RNA転写物の場合も、HSVd-ホップ分離株及びHSVd-ブドウ分離株同様、 第25、26、54、193、281の5箇所で高頻度に変異が生じた。 さらにRNA転写物の場合も、ブドウ分離株と同様に、5箇所のうちの1箇所から変異が始まり、 年数の経過と伴に次第に複数の変異が集団内に蓄積し、多様な変異体を経由して、 10年目にはホップ栽培地域で優占しているHSVdの変異体であるhKF76及びhKFKi変異体に収斂する傾向が観察された。 すなわち、HSVd-ブドウ分離株をホップに持続感染させた時に生じる多様な変異は、 元々自然分離株の中に微量に存在していた変異体が宿主適応過程で選抜・増幅されたものではなく、 新たな変異を獲得して集団内に固定され優占してきたことが明らかになった。

4. まとめ

 本研究におけるHSVdの宿主適応過程の解析の結果、日本のホップに発生したホップ矮化病の流行が ブドウに潜在感染しているHSVdの感染によりもたらされたことが明らかになった。 また興味深いことに、2003年の米国・ワシントン州、2007年の中国・新疆ウイグル自治区の ホップ栽培圃場で発生した矮化病罹病ホップにおいても、本研究で検出した5箇所の変異を有する変異体が優占していることが明らかになった。 すなわち、現在世界の3地域で流行しているホップ矮化病が全てブドウに潜在感染している変異体が伝染源となって発生した可能性が示唆された。 これは潜在性の宿主植物が伝染源となってウイロイド病が世界中に蔓延、流行する危険性を示唆するものである。