氏 名 わたなべ ひろゆき
渡部 浩之
本籍(国籍) 愛媛県
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第483号
学位授与年月日 平成22年3月23日 学位授与の要件 学位規則第5条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物生産科学専攻
学位論文題目 Studies on chromosomal integrity and embryonic development in mammalian spermatozoa after intracytoplasmic sperm injection
( 顕微授精における哺乳動物精子の染色体正常性と胚発生に関する研究 )
論文の内容の要旨

 体外胚生産の目的は産仔になり得る胚を体外で作出することであり、 卵細胞質内精子注入法(ICSI)の改良においても胚の生産効率と正常性の両方に着目しなければならない。 よって本研究では、ICSI後の体外胚生産効率の向上と染色体正常性を調査することを目的とし、以下の実験を行った。

1. ブタICSI後の受精率および胚盤胞発生率の改善

 ブタにおけるICSI後の体外胚生産効率は非常に低いことが知られており、 その原因の一つとして、低い受精率、特に低い雄性前核(MPN)形成率が挙げられる。 MPNの形成は、精子核に存在するS-S結合が卵子内の還元型グルタチオン(GSH)で切断されることから始まる。

1-1.Lycopeneを用いた卵子内還元型GSHの合成促進

 GSHの生合成には卵丘細胞-卵子間のギャップジャンクション(GJ)が重要である。 そこで、体外成熟中のGJの結合を維持するために、GJ結合促進剤であるLycopeneを体外成熟培地中に添加し、 卵子内GSH濃度、受精率および胚盤胞発生率に及ぼす影響を検討した。 その結果、LycopeneはGJの結合を維持し、卵子内GSH濃度を上昇させた。 それに伴い受精率も向上したが、胚盤胞発生率の向上は観察されなかった。 以上の結果から、Lycopeneにより卵子内GSH濃度の向上するものの、胚の発生率を向上させるには未だ不十分であることが示唆された。

1-2.Dithiothreitol(DTT)による精子脱凝縮の補助

 卵子側からのアプローチでは受精率の向上は可能であったが、胚盤胞発生率の向上には至らなかった。 そこで、精子注入前に精子を還元剤で処理し人為的にS-S結合を脆弱化することで受精および胚発生を促進することを試みた。 その結果、ブタ精子におけるDTT処理は30分間が最適であり、受精率と胚盤胞発生率の両方とも向上した。 また、受精率はDTT処理時間依存的に向上したにも関わらず、60分間処理したときの胚盤胞発生率が向上しなかった。 このことから、過度の処理は胚発育に悪影響を及ぼすことが考えられた。 また、DTT処理した精子を注入した卵子はMPNだけでなく雌性前核も効率良く形成したことから、 ブタにおいて"適度な"DTT処理はICSIを用いた体外胚生産に有効であることが明らかになった。

2. 精子処理が染色体正常性に及ぼす影響

 DTT処理により受精率および発生率の向上が期待できるが、一方で過度の精子処理は発生率を低下させる。 つまり、過度の精子処理は精子に何らかのダメージを与える可能性があり、精子処理の安全性を確認する必要がある。 そこで、DTT処理および受精能獲得や先体反応を誘起する精子処理[Methyl- -cyclodextrin (MBCD)、 Lysolecithin (LL)、Triton X-100 (TX)処理]を施した精子の染色体正常性および発生能をマウスモデルを用いて評価した。 その結果、各精子処理は精子染色体正常性を損ねたが、胚盤胞発生率には影響しなかった。 しかし、過度の処理の場合(DTT 60分)、約70%の胚盤胞の染色体に異常が観察され、胎仔への発生率も低下させた。

3. 家畜精子の染色体分析法の開発

 家畜精子染色体分析法は未だ確立されていない。 安定した精子染色体分析には、ヒト精子の場合のようにマウス卵(体内成熟卵)の使用が望まれるが、 マウス卵に家畜精子を注入した場合、精子が持つ先体酵素が卵子を変形させ、受精現象が進行しないことが知られている。 この変形がマウス卵の矮小性に起因していると考え、マウス卵を電気融合させ、体積が2倍および3倍の卵子(2倍卵および3倍卵)を作製し、 これをレシピエント卵とすることで卵子の変形を抑制することを試みた。 ウシ、ヒツジおよびイヌ精子を2倍卵および3倍卵に顕微注入したところ、卵子の体積依存的にマウス卵の変形が抑制され、 その結果、染色体染色体検出率が向上した。 一方で、ブタ卵子を注入した場合、6倍卵でも卵子の変形を抑制できず、変形を抑制するには10倍卵が必要であった。 さらに、正常な形態を持つ卵子内でもブタ精子の受精現象は進行せず、染色体の検出はできなかった。 このことから、特にブタ精子の先体酵素は非常に強力であり、先体酵素が受精を阻害することが確認された。

 以上の結果より、比較的容易に受精率および胚盤胞発生率の向上を期待できる精子処理は、染色体異常を誘起することが明らかとなった。 さらに、過度な精子処理の場合、胚盤胞への発生率を低下させることなく染色体異常は維持され、胎仔への発生率を低下させることが判明した。 このことは今まで精子処理後に体外で作出された胚盤胞の多くにも染色体異常が含まれている可能性を示し、 胚盤胞への発生率は胚の正常性を保証するものではないことが示された。 また、本研究で開発された融合卵を用いた染色体分析法は、ブタを除く家畜精子の染色体分析に有用であり、 正常な家畜胚の作出に大いに貢献するものと期待される。また、今後はブタ精子の染色体検出法をさらに改良していく必要があると思われた。