氏 名 り こうちん
李 香珍
本籍(国籍) 中国
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第472号
学位授与年月日 平成21年3月31日 学位授与の要件 学位規則第5条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物生産科学専攻
学位論文題目 牛ふん尿堆肥に含まれる水溶性腐植物質の構造と機能
( Structural properties and function of water-soluble humic substances in cattle manure )
論文の内容の要旨

 家畜ふん尿や有機性廃棄物の堆肥化に伴う腐植物質の変化については数々の研究が行われてきているが, その多くでは実験室内や小規模試験で試作されたモデル的な堆肥を対象としており, 堆肥化や腐熟化が確実に起こることを前提に試料の調製が行われている。 しかし,農業生産現場で現実的に製造され,かつ実際に圃場還元により利用されている堆肥は, 必ずしも十分な好気発酵を伴う堆肥化が行われていない,あるいは腐熟化が進んでいない堆肥が多いのが実状である。 また,腐植の抽出には水酸化ナトリウム溶液やピロリン酸ナトリウム溶液などが用いられているが, 堆肥の圃場還元に伴う植物生育へ及ぼす腐植物質の直接的な影響を評価し, 堆肥の機能や有効性を明らかにしていくためには土壌中での可動性が高い水溶性腐植物質を対象とすべきであると考えられる。 そこで本研究では,堆肥製造業者や一般の畜産農家および畑作農家が製造し,かつ圃場還元により実際に利用されている牛ふん尿堆肥を対象に, 水溶性腐植物質の化学的な構造特性と植物生育への機能を明らかにし,腐植の特性による牛ふん尿堆肥の評価を行うことを目的とした。

 まず,農業生産現場で現実的に製造された乳牛ふん尿堆肥9点と肉牛ふん尿堆肥8点の計17点を供試し, 水溶性腐植酸とフルボ酸の量と光学的特性を調べた。 これらの試料は堆肥化や腐熟化の進行が大きく異なり,腐植酸炭素量は0.5~13.6mg/g,フルボ酸炭素量は1.1~9.1mg/gと著しい違いが認められた。 腐植酸の単位炭素量当たりの波長600nmにおける吸光度を示す相対色度(RF値)も12~50と試料間で大きく異なり, 好気的な発酵が進んだ肉牛ふん尿堆肥で高い傾向にあった。 堆肥化が進んだ一部の試料では腐植化度の高いB型腐植酸に分類され,腐植化が極めて未熟なRp型腐植酸しか報告されていない既存の研究とは 顕著に異なる結果であった。

 次に,堆肥化や腐熟化の進行が水溶性腐植物質の腐植化に影響を及ぼすことが示唆されたため, 理化学性や腐熟度が大きく異なる4点の試料を選び出し,水溶性腐植の形態分析を行うとともに, 腐植酸の構造特性を紫外可視吸収スペクトル(UV-VIS)やフーリエ変換赤外吸収スペクトル(FT-IR)により詳細に調べた。 好気的な発酵を伴う堆肥化の進行や長期間にわたる腐熟化により,腐植酸のRF値は著しく増加した。 好気的な発酵を伴わない未熟な腐植酸では,原料に由来するリグニンなどの非腐植物質に由来する構造単位がUV-VISで認められた。 堆肥化や腐熟化が進んだ堆肥から抽出・分画された腐植酸では,微生物分解に伴う多糖類に由来する構造単位の減少, 腐植化の進行に伴うカルボキシル基や芳香族ないしアミドⅠなどに由来する構造単位の増加がFT-IRで顕著に認められた。

 さらに,理化学性,幼植物発芽試験や易分解性有機物量などの腐熟度指標より, 堆肥化や腐熟化が十分に進んでいると判断された試料から,堆肥化処理方式が異なる試料を選び出した。 堆積方式および撹拌方式で製造された堆肥について,それぞれ堆肥化初期と後期の2点の計4点について, 水溶性腐植酸とフルボ酸の構造特性をUV-VISやFT-IRで調べるとともに,高速サイズ排除クロマトグラフィー(HPSEC)により分子サイズを調べた。 いずれも堆肥化初期よりも後期で腐植酸炭素量が減少したが,RF値は増加し,とくに堆積方式で著しく高い値を示した。 腐植酸では堆肥化に伴ってリグニンや樹脂類などの非腐植物質に由来する構造単位が減少し, カルボキシル基などの構造単位が増加する傾向が認められ,堆積方式の堆肥で顕著であった。 フルボ酸では処理方式の違いが著しく,堆積方式では後期でカルボキシル基の増加や多糖類の減少に由来する構造単位の変化が明瞭であったが, 撹拌方式では変化があまり見られなかった。 水溶性腐植酸の重量平均分子サイズ(Mw)は3470~4520Daの範囲であり,堆積方式が撹拌方式よりもやや低く, いずれも初期より後期でわずかに増加した。 水溶性フルボ酸のMwは1880~2110Daの範囲であり,堆積方式では初期より後期で増加,撹拌方式では減少と全く異なる傾向であった。 堆肥化処理方式は,高い温度の持続と堆肥化期間が大きく異なり, 堆積方式ではリグニンなどの非腐植物質の分解と分解生成物からの腐植の生成が進むのに対し, 撹拌方式ではリグニンの分解がある程度進行するものの,温度低下が腐植の生成を促進させず, 腐植酸の腐植化や構造単位の変化が明瞭でなかったと考えられた。

 以上のように,十分な堆肥化と長期間の腐熟化を行った試料で水溶性腐植物質の腐植化度や構造特性が大きく変化することが明らかとなったため, 堆積方式で十分な腐熟化を行った試料1点を新たに供試し,水溶性腐植酸とフルボ酸の分子サイズ,DPPHラジカル消去法による抗酸化活性, ポット栽培によるホウレンソウの生育に及ぼす影響などの機能を調べた。 腐植酸とフルボ酸のMwはそれぞれ5030Daと2280Daであった。 いずれも高い抗酸化活性が認められ,ポリフェノールなどの芳香族に由来する構造単位が見られた腐植酸でやや高かった。 栽培試験では有意差は認められなかったが,ホウレンソウの葉面積指数や地下部乾物重はフルボ酸を添加することにより増加する傾向にあった。 また,腐植酸の添加によりホウレンソウの抗酸化活性が増加する傾向も認められた。 平均分子量3500Da以下の腐植物質は植物の細胞内に容易に取り込まれ,植物の生理活性に影響を及ぼすことが報告されており, 本研究で対象とした堆肥の水溶性腐植物質も,植物の生理や生育への生物学的な機能を有している可能性が考えられたが, その詳細な機構や作用についてはさらなる検討が必要である。

 本研究では,農業生産現場で現実的に製造され,圃場還元により利用されている牛ふん尿の堆肥化や腐熟化の進行, 堆肥化期間などにより,水溶性腐植酸やフルボ酸の構造特性が大きく変化し,とくに好気的な発酵と温度上昇, 長期間の腐熟化により腐植化度の著しい増加と構造単位の明瞭な変化が認められることが明らかとなった。 また,腐植化の進行した水溶性腐植酸やフルボ酸などの腐植物質が植物の生理活性や生育に影響を及ぼすことが示唆されたため, 腐植の特性による牛ふん尿堆肥の評価と有効利用に向けて,さらに研究を進める必要があると思われる。