氏 名 にしもと ひろみ
西本 博美
本籍(国籍) 北海道
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第471号
学位授与年月日 平成21年3月31日 学位授与の要件 学位規則第5条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物生産科学専攻
学位論文題目 Glycolysis in bovine follicles and corpora lutea: Physiological roles and its regulation
( ウシ卵胞および黄体における解糖系:生理的役割とその調節 )
論文の内容の要旨

 卵胞は、発育、排卵、黄体化を経験するなど、最も活発な活動を営む組織の一つである。 卵胞発育過程では卵胞細胞の増殖、分化が起こり、活発なステロイドホルモンの分泌や様々な基質の合成が行われる。 これらの細胞活動は、卵胞局所におけるグルコース代謝によって支えられている。 グルコースの代謝経路はいくつかあり、解糖系はエネルギーおよび様々な基質、補酵素等を生成する際の中心となる経路である。 以上の事から、卵胞細胞における解糖および代謝酵素によるその調節は、卵胞の活動や生死に影響を及ぼすと考えられる。 しかしながら、卵巣におけるグルコース代謝については、殆ど解明されていない。 本研究は、卵胞および黄体の生理状態の変化に伴う、糖輸送体(GLUT)および解糖系律速酵素遺伝子の発現の変動、 ならびに培養顆粒層細胞(GC)におけるそれらの遺伝子発現調節機構およびその意義を明らかにする事を目的とした。 本研究は総説(第1章)、材料と方法(第2章)、実験章(第3-7章)、および結論(第8章)から成る。

 食肉処理施設由来の卵巣は、卵胞の生理的機能を解明するために有用である。 本研究では、それらを用いて、卵胞の生理状態の変化に伴うグルコース代謝の変動を調べた。 卵胞は、卵胞間および黄体と相互的に作用しながらダイナミックな変化を遂げるため、 採取された卵胞の発達段階の推定には注意を払う必要がある。 そこで第3章では、食肉処理施設由来ウシ卵胞の分類方法を検討した。 卵胞直径、卵胞液中ステロイドホルモン濃度、および卵胞間ならびに黄体との相互関係に基づく詳細な分類を行った。 その結果、卵胞を成長小卵胞、排卵前卵胞、閉鎖初期、中期および後期卵胞など、8グループに分類する事ができた。

第4章ならびに第5章では、ウシ卵胞発育、排卵、黄体成長、退行、および卵胞閉鎖に伴う糖輸送体(GLUT)および 解糖系律速酵素の遺伝子発現の変動を調べた。 その結果、1)ウシ卵胞の生理状態の変化に伴い、GLUTおよび解糖系律速酵素遺伝子の発現量が変化する事、 2)GCと卵胞膜でそれらの発現量および動態が異なる事、3)黄体においても同様に、 生理状態の変化によって上記遺伝子の発現量が変動する事、 そして4)閉鎖の進行過程において、各遺伝子の発現が保持または増加する事が明らかとなった。 上記の遺伝子発現パターンの差は、組織毎および卵胞の発育、閉鎖、黄体の発達段階毎にグルコースや酸素の供給量が異なる事、 ならびに、細胞が要求するエネルギーおよび基質の量が変動する事に対応するための機構であると考えられる。

 第6章では、FSHならびにインスリンが、GLUTおよび解糖系律速酵素の遺伝子発現に与える影響を、培養GCを用いて調べた。 その結果、1)FSHはインスリン存在下で、GCにおけるGLUTおよび解糖系律速酵素の遺伝子発現を増加させる事、 2)嫌気的組織で優勢な発現を示す乳酸脱水素酵素 (LDH) Aの遺伝子発現を増加させ、一方で、 好気的組織で優勢なLDHB遺伝子発現には影響を与えない事、3)LDHA/LDHB比を遺伝子および酵素活性レベルで増加させる事、 4)インスリンも同様に、単独あるいはFSHと相乗的にLDHA/LDHB比を遺伝子レベルで増加させる事が明らかとなった。 これらは、嫌気的解糖へのシフトがGC分化において重要な役割を果たす事を示唆している。 GCは分化に伴い多量のE2を分泌し始めるが、E2産生は酸素を必要とする。 そこで、GC分化における嫌気的解糖および酸素分圧の重要性を解析するために、培養GC におけるLDH阻害剤および低酸素の影響を検証した。 その結果、各処置によって細胞からのE2分泌が抑制された。 この結果は、GC分化に伴う嫌気的解糖へのシフトは、エネルギー産生に関わる酸素の消費を抑え、 E2産生に酸素を利用している事を示唆している。

 第7章では、グルコース濃度がGCの生理状態に及ぼす影響を解析した。 グルコース濃度の変化が細胞の活動に影響を及ぼす事が、他の細胞において報告されている。 一方卵胞細胞の培養に汎用されているDMEM/F-12 HAM中のグルコース濃度(17.5mM)は、生理的濃度(約5mM)を遥かに上回っている。 そこで、グルコース濃度(1、5および25mM)が培養GCの生理状態に及ぼす影響を調べた。 その結果、1)低グルコースは高グルコースに比べGC生存に有利である事、 2)生理的濃度のグルコースは低濃度のグルコースに比べGC分化を促進する事、 3)グルコース濃度によって解糖ならびにGLUTおよび解糖系律速酵素の遺伝子発現が変化する事が明らかとなった。 これらは、細胞培養時におけるグルコース濃度の至適化の必要性を示唆している。

 以上本研究では、1)ウシ卵胞および黄体組織には、成長、成熟、退行における物質供給および基質要求の変化に対応するために、 解糖系遺伝子発現の調節機構が備わっている事、および2)GCにおいては、E2産生に必要である酸素の消費を抑制するために、 分化に伴い解糖を嫌気的代謝にシフトさせる機構が存在する可能性が示唆された。 また、卵胞細胞の生理機構解明のためには、培養時のグルコース濃度至適化が必要である事が示唆された。