氏 名 うえむら ゆうすけ
上村 祐介
本籍(国籍) 愛知県
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第420号
学位授与年月日 平成20年3月21日 学位授与の要件 学位規則第5条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物資源科学専攻
学位論文題目 動物種間におけるミルクオリゴ糖の比較生化学
(Comparative biochemistry of milk oligosaccharides among mammalian species)
論文の内容の要旨

 哺乳動物の乳には,ラクトース以外の糖質としてミルクオリゴ糖が含まれており,その種類や組成は多種多様を極める. 特に,ヒトミルクオリゴ糖はそのコア構造から12のグループに分類されており, タイプI鎖(Gal(β1-3)GlcNAc-R)をもつオリゴ糖の割合が高いなどの特徴がある. しかし,それらの意義や進化に関する科学的知見は,ヒトや家畜以外の動物種の乳試料が入手困難なため少ない. また,ミルクオリゴ糖の研究は,ヒトミルクオリゴ糖で示唆されているような接着阻害による抗感染作用などの生理学的機能が, 他の動物種においても発揮されるかどうかを解明する手がかりを与える. さらに,絶滅危惧種などの希少種の乳成分を調査することで,人工調合乳を調製する際の基礎的データを得ることができる. そこで本研究では,乳中糖質に関する報告例が極めて少ない,ハクジラ亜目に属するマイルカ科3種 (飼育下バンドウイルカ( Tursiops truncatus ),野生下シャチ( Orcinus orca )および マダライルカ( Stenella attenuata ))とイッカク科1種(飼育下シロイルカ( Delphinapterus leucas )), 乳中のミルクオリゴ糖組成を調査した.

 乳試料をクロロホルム/メタノール溶液に溶解し,メタノール画分から糖質粗画分を抽出した. 次いでゲル濾過および陰イオン交換クロマトグラフィーを経て,各オリゴ糖画分をHPLCに供して分離・精製を行った. 精製した各オリゴ糖の化学構造は,1H-,13C-NMRおよびHSQC法または質量分析法を用いて解析した.

 バンドウイルカ乳からは,ラクトース以外に,3'-SL,6'-SL,GM2四糖(GalNAc(β1-4)[Neu5Ac(α2-3)]Gal(β1-4)Glc) およびグロボトリオースが同定された. GM2四糖およびグロボトリオースは,哺乳動物種の乳中から遊離糖鎖として初めて発見された。 シャチ乳からは6'-SLとGM2四糖が同定され,マダライルカ乳からは3'-SL,GM2四糖,2'-FL,イソグロボトリオースがそれぞれ同定された. 誘起泌乳のシロイルカ乳中の糖質組成は,ラクトースを主要糖質としている他,酸性オリゴ糖として, 泌乳初期乳では3'-SL,6'-SL,GM2四糖およびLST cが,泌乳中期乳と泌乳後期乳では初期に含まれるものと同様の4種に加えて, シアリルパラ-LNnHとシアリルLNnHがそれぞれ同定された. また、中性オリゴ糖として,泌乳中期乳からLNnTとイソグロボトリオースが,泌乳後期乳からA四糖が同定された.

 上記の研究目的と併せて,文献データに示された構造解析に疑問が残されていた, アジアゾウ( Elephant maximus )乳中のミルクオリゴ糖組成を調査した. その結果,アジアゾウ乳には91 g/Lもの高濃度で糖質が含まれており,ラクトースが優先糖質であった. ミルクオリゴ糖組成において,中性オリゴ糖としてイソグロボトリオース, 酸性オリゴ糖として6種類の既知オリゴ糖(3'-SL,6'-SL,モノフコシル-モノシアリル-ラクトース,LSTc, モノガラクトシル-モノシアリル-LNnHおよびモノガラクトシル-モノフコシル-モノシアリル-LNnH)と共に, 4種類の新規ミルクオリゴ糖(Neu5Ac(α2-3)Gal(β1-4)[Fuc(α1-3)]GlcNAc(β1-3)Gal(β1-4)Glc, Neu5Ac(α2-6)Gal(β1-4)GlcNAc(β1-3)Gal(β1-4)GlcNAc(β1-3)Gal(β1-4)Glc,Neu5Ac(α2-6)Gal(β1-4)[Fucα(1-3)] GlcNAc(β1-3)Gal(β1-4)GlcNAc(β1-3)Gal(β1-4)GlcおよびNeu5Ac(α2-3)Gal(β1-4)[Fuc(α1-3)]GlcNAc(β1-3)Gal(β1-4) [Fuc(α1-3)]GlcNAc(β1-3)Gal(β1-4)Glc)が同定された.

 本研究により,ハクジラ亜目のミルクオリゴ糖組成の特徴と種間の違いが明らかにされた. また,4種に共通してGM2四糖を含むこと,中性オリゴ糖に比べてシンプルな構造をもつ酸性オリゴ糖が優勢であることから, 遺伝分類学的に近縁である有蹄類や食肉目のオリゴ糖組成と比較した場合, クジラ目へ進化する過程でより単純な構造・組成,非フコシル化・非ガラクトシル化オリゴ糖へと変化したことが推察された.

 一方,糖質を豊富に含むアジアゾウ乳からは,多様なシアリル化された高級オリゴ糖が同定され, その中にはレクチンリガントホモローグであるシアリルLex構造をもつものが特徴的に含まれることや, それらがすべてタイプII鎖(Gal(β1-4)GlcNAc-R)であることを明らかにした. アジアゾウが分類学上属するアフリカ上獣目の他の動物種のオリゴ糖組成に関するデータは無いが, その構造・組成から特有な進化を遂げていることが伺えた. また,これらのオリゴ糖は,乳仔消化管において消化・吸収されて,抗炎症因子として機能することが示唆された.