氏 名 ささき ゆたか
佐々木 裕
本籍(国籍) 愛知県
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第417号
学位授与年月日 平成20年3月21日 学位授与の要件 学位規則第5条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物資源科学専攻
学位論文題目 シロイヌナズナ懸濁培養細胞における成長段階に依存したストレス耐性誘導機構
(Characterization of growth phase-dependent responses to abiotic stress in Arabidopsis suspension cultured cells)
論文の内容の要旨

温帯性植物は、低温馴化することで凍結温度に曝された後も生育できるようになる。 低温馴化機構の解析は、シロイヌナズナ植物体を用いて積極的に行われている。 植物個体には、様々な異なった細胞、組織、及び、器官が混在しており、これらの低温に対する応答が異なることや 応答反応が相互作用することによって、複雑な耐性増大の仕組みが備わっている。 そのため、多くの研究があるにも関わらず、未だに、明確な低温馴化機構の解明、そして、 凍結耐性を人工的に増大させるための効率的なアプローチを確立するまでには至っていない。 この問題を解決し、凍結耐性獲得機構を詳細に解明するためには、細胞における低温に対する応答を解析し、 低温馴化の素過程で重要な変化を明らかにする必要があると考えた。 そこで、本研究では、シロイヌナズナT87懸濁培養細胞を用いて、 低温処理によって引き起こされる細胞レベルにおける凍結耐性誘導機構を明らかにすることを目的として、主に以下6つの実験を実施した。

1)培養細胞の低温処理による凍結耐性の変動
本細胞の成長曲線を湿重量により測定し、誘導期、対数増殖期、定常期を決定した。 異なった成長段階の細胞(誘導期及び対数増殖期)を用いて低温処理による凍結耐性の変動を解析した。 その結果、誘導期の細胞のみで低温処理を2日行うことにより凍結耐性の増大が観察された。 特に、-7℃まで凍結した場合、誘導期の細胞は対数増殖期の細胞に比べ有意に凍結耐性が高くなることが明らかとなった。

2)生理的変化の解析
植物体では低温馴化過程で細胞内可溶性糖及びアブシジン酸(ABA)含量が増大する。 そこで、本細胞の凍結耐性誘導に、これらの生理的変化が関与しているかについて解析した。 その結果、低温処理過程における可溶性糖及び内生ABA量は、誘導期の細胞のみで蓄積増大することが明らかとなった。 このことから、誘導期の細胞は植物体と共通の低温馴化機構を有している可能性が示唆された。

3)低温誘導性遺伝子の発現変動
植物体の低温馴化過程では低温誘導性遺伝子が発現上昇し、凍結耐性の増大に寄与している。 そこで、低温誘導性遺伝子( CBF3/DREB1A とその下流の標的遺伝子である COR15a 及び RD29A )の発現が 本細胞の凍結耐性増大と相関しているか否かについて調べた。 その結果、低温処理により誘導期の細胞でこれらの遺伝子が高発現していることが明らかとなった。 しかし、対数増殖期の細胞においてもこれらの遺伝子の発現が見られたことから、 発現量の違いだけで成長段階に依存した凍結耐性の誘導を説明できない。 そこで、44kオリゴアレイを用いて、誘導期の細胞のみで低温によって発現が変動する遺伝子を網羅的に解析した。 その結果、誘導期の細胞のみで、凍結耐性の変動と相関した挙動を示す低温誘導遺伝子が54個、抑制遺伝子が34個見出された。 これらの遺伝子の多くは、植物体の低温馴化過程でも同様の挙動を示すことが分かり、 誘導期の細胞と植物体は多くの点で共通の低温応答機構を有していることが示唆された。 また、対数増殖期の細胞に比べ、誘導期の細胞ではシグナル伝達の上流で機能する遺伝子及びタンパク質の修飾に関わる遺伝子が多く 発現誘導されることが明らかとなり、これらの遺伝子が誘導期の細胞あるいは植物体の耐性増大に重要であることが考えられた。 一方で、植物体では低温変動しない遺伝子もいくつか見られたことから、 本細胞の低温応答は植物体と共通なものと培養細胞を用いた場合にしか見られない応答があるものと示唆された。

4)細胞周期の進行
生物の成長は細胞の分裂により行われる。 細胞分裂は細胞周期の進行により制御されていることから、本細胞の成長段階に依存した低温処理によって誘導される凍結耐性の違いが 細胞周期により影響を受けていることが推測される。 そこで、二つの異なった成長段階の細胞を用いて、細胞周期の進行の違いを解析した。 その結果、誘導期の細胞では対数増殖期の細胞に比べ細胞周期が盛んに進行していることが明らかとなった。 つまり、誘導期の細胞で観察された凍結耐性の増大には細胞周期が関与していると考えられる。

5)細胞周期に依存した低温応答性
次に、本細胞の細胞周期を同調化させた後、異なった周期(S、G2/M及びG1期)にある細胞に対して低温処理を行い、 遺伝子発現及び生理的変化を解析した。 その結果、低温誘導性遺伝子の高発現はS及びG1期の細胞で、内生ABA量の増大はG1期の細胞で観察された。 このことから、低温応答機構は細胞周期に影響を受けることが示唆された。

6)細胞周期に依存した凍結耐性
次に、異なった細胞周期における凍結耐性の変動を解析した。 その結果、S期の細胞では-9℃処理区でG1期の細胞では、-4~-5℃処理区で低温処理2日間行うことで未処理に比べ、 耐性が高くなる傾向が観察された。 このことから、細胞周期は本細胞の低温応答を介した凍結耐性の増大に関与していることが明らかになった。

以上のことから、本研究では、細胞レベルにおける低温馴化機構は植物体で起こる応答を保持することを明らかにした。 さらに、細胞周期のなかでもS及びG1期の細胞が低温処理により低温誘導性遺伝子を高発現して、 あるいは、内生ABA量を増大させることで、誘導期の細胞における凍結耐性増大に寄与していると考えられた。 細胞周期による低温応答機構の制御は様々な異なった細胞を有する植物体では微小な変化となってしまい解明が困難であったが、 細胞レベルの解析を行うことにより低温馴化機構に重要となる新たな現象を明らかにした。