ウシにおいて発情周期中の黄体は、形成・維持そして退行過程を約17-18日周期で
繰り返すダイナミックな内分泌器官である。
黄体は妊娠の成立と維持に必要不可欠であるプロジェステロン(P)を産生し、
妊娠不成立の場合は子宮から黄体退行因子PGF2αが放出され、黄体は機能的退行(P分泌減少)に続き
構造的退行(体積・血流供給の減少)が引き起こされ完全な死を迎えることになる。
この黄体は主にPを産生する黄体細胞と血管を構築する血管内皮細胞で構成され、
特に血管内皮細胞は全細胞数の半数以上を占めることから、黄体機能における血管・血流供給の重要性が伺える。
本研究では、特に黄体機能・血流動態に劇的な変化が見られる黄体退行現象に焦点を当て、
黄体血流動態と血管作動性物質を中心とした黄体退行機構の解明を目的とし、主に生体実験により検証した。
現在まで黄体退行因子PGF2αを人為的に投与することにより引き起こされた黄体退行機構の研究は数多く報告されているが、
これらの現象は生理的に起きうるものなのかどうかは疑問であり、PGF2αを人為的に投与したことによる薬理的反応である可能性がある。
そこで第2章では、自発的な黄体退行機構を、血管作動性物質を中心に検証した。
自発的な退行中の黄体内では、直接的にP産生を調節するエンドセリンー1(ET-1)、アンギオテンシンII(AngII)や
黄体性PGF2αが退行開始直後から増加し、正のフィードバック状に作用することで黄体退行過程を促進することが考察された。
また、黄体性オキシトシンが、子宮由来PGF2αや黄体由来の血管作動性物質群(特にET-1とPGF2α)を
積極的に産生させることで、黄体退行現象を調節する役割を持つと考えられた。
以上から、PGF2αで引き起こされた黄体退行と同様に、
自発的な黄体退行現象において血管作動性物質群が重要な役割を担うことが示唆された。
第3章では、黄体退行仲介因子として筆頭候補であるET-1の役割について検証した。
退行因子PGF2αは黄体化顆粒層細胞や血管内皮細胞単独区では影響を与えなかったのに対し、
それらの混合培養区では添加後1時間でET-1 mRNA発現を刺激した。
以上からET-1がPGF2αの黄体退行作用の重要な仲介因子として働くためには、
黄体細胞と血管内皮細胞の細胞間接触によるクロストークが重要であることが示唆された。
さらに、ET-1のTypeA受容体(ETA-R)の拮抗剤を直接黄体内に投与することで、黄体退行現象へのET-1の役割をin vivoで検証した。
結果、血中P濃度の減少には影響が見られなかったものの、黄体体積と黄体周辺部血流域の減少開始がETA-R拮抗剤を投与することで有意に遅れた。
つまり、ET-1は黄体内の血管機能を調節し、直接的にアポトーシスを促進する役割を持つ可能性が考えられた。
第4章ではまず、自発的な黄体退行中における黄体周辺部血流変動を詳細に検証した。
その結果、黄体退行開始直前に必ず黄体周辺部血流域が急激に増加する現象を発見し、
子宮からのPGF2αが本現象を誘発する要因であることが推察された。
そこでPGF2αを投与し人為的に引き起こした黄体周辺部血流域増加現象を検証すると、
強力な血管弛緩因子である一酸化窒素(NO)の合成酵素(NOS)の発現がPGF2α投与により一過性に刺激されることが明らかになった。
重要候補であるNO供与剤を黄体内に直接投与すると、黄体周辺部血流域増加現象を引き起こすことができ、その後の黄体退行過程を促進した。
また、NOS阻害剤を黄体内に直接投与すると、本血流域増加現象を完全に抑制し、その後の黄体退行現象も遅れる結果となった。
以上から、黄体周辺部血流域増加はPGF2αで刺激されたNOの血管弛緩作用で起きる現象であり、
迅速な黄体退行を導くための役割を担うことが証明された。
また、PGF2αのNOへの作用を検証するため、黄体周辺部・黄体内部モデルを細胞培養で構築した。
黄体内部モデルではPGF2αが1時間でNOS mRNA発現を刺激したのに対し、黄体周辺部モデルではより早い30分で刺激する結果になった。
つまり、PGF2αは短時間でNO産生を特に黄体周辺部で誘発し、黄体周辺部血流域増加現象を引き起こしていることが考えられた。
ウシ黄体は、黄体細胞や血管内皮細胞に加え、血管平滑筋細胞、ペリサイトや繊維芽細胞など複数の細胞種で構成されるヘテロ構造の器官である。
つまり、黄体機能調節において、黄体内での細胞間接着による多種多様な細胞間コミュニケーションが重要であると考えられる。
第5章a項では、発情周期中および退行中における黄体内の様々な細胞接着因子群の遺伝子発現変動を検証した。
Gap構造を構築するコネクシン43や、接着構造を構築するカドヘリンらのmRNAが、黄体化顆粒層細胞や黄体由来血管内皮細胞で高い発現を示し、
発情周期中および黄体退行中でそれぞれ異なる発現動態をとることから、
細胞間コミュニケーションを活発化することで黄体形成や黄体退行過程を調節する可能性が考えられた。
第5章b項では、発情周期中および退行中における黄体内のapelin/APJシステムの発現変動を検証した。
リガンドであるapelinおよびその受容体APJは、強力な血管新生作用に加えてNOを介した血管拡張作用を有する新規血管作動性因子である。
今回の研究から、apelin/APJシステムがウシ黄体内で存在・変動することを初めて示すことができた。
また、黄体退行中にapelin/APJ mRNA発現が一過性に刺激されたことから、apelin/APJシステムがウシの黄体退行過程を調節する、
特に退行開始シグナルである黄体周辺部血流域増加現象に強く関与する可能性が示唆された。
本研究では、ウシの黄体退行機構の解明を目指し、黄体血流供給・変動および様々な血管作動性物質を中心として包括的に検証した。
ウシ黄体退行に際し、黄体周辺部の血流域が一過性に増加する黄体退行開始シグナルを発見し、
この現象がNOによる血管弛緩で誘発されたことを証明した。
その後、黄体内で産生される様々な血管作動性物質が互いの作用を増強しあうことで、
P減少・黄体血流の枯渇・細胞アポトーシスへと黄体退行過程を促進することが考えられた。
以上から、黄体由来の血管作動性物質群は、黄体血流供給の調節因子として、
さらに黄体退行カスケードの仲介因子として非常に重要な役割を担うことが示唆された。
|