乳牛1頭あたりの乳量は飼養管理の改善や遺伝的改良により著しく増加している。
アメリカではホルスタイン種の過去10年間の乳量が約20%も増加している。
北海道でも1980年の約6,400kg/305dから2005年には約9,000kg/305dに増加している。
しかし乳量が増加する一方で、分娩間隔や受胎あたりの授精回数などの繁殖効率は低下している。
例えば北海道での空胎日数は1985年に116日だったが、2005年には149日に延長している。
この繁殖性の低下は日本に限ったことではない。
同様の傾向がアメリカ、アイルランド、イギリス、オーストラリアにおいても報告されている。
この繁殖性の低下の原因の1つとして泌乳初期の乳生産に必要なエネルギーに比べて採食量の増加率が低いことがあげられる。
しかし、乳牛は早期受胎のために負のエネルギー状態にある泌乳初期に卵巣機能を回復させなくてはいけない。
多くの牛では分娩後約5日目にいくつかの卵胞が出現し、約10日目には主席卵胞が選抜される。
約半数の牛は分娩後最初の卵胞波の主席卵胞が分娩後約3週間以内に排卵に至るが、
残りの半数の牛では主席卵胞が排卵せずに退行するか、嚢腫化してしまう。
この分娩後最初の卵胞波の主席卵胞の排卵をコントロールする因子はまだ不明であるが、分娩後、
子宮が正常に回復した牛では、卵巣機能回復の早いほうが、受胎率が高くなるという報告がされている。
乳牛において、妊娠末期、分娩および泌乳は分娩前後の代謝状態に劇的な影響を与え、この代謝状態の変化は卵巣機能に影響を与える。
インスリン様成長因子-I(IGF-1)やインスリンは顆粒層細胞の増殖やステロイドホルモン産生を刺激する。
さらに成長ホルモン(GH)の受容体がさまざまな生殖器官に存在することから、それらの器官への作用が示されている。
したがって、分娩前後のこれらの代謝ホルモンの変化は卵胞発育に作用し、結果として繁殖性の低下に関連している可能性が考えられる。
しかし、現在の高泌乳牛の中にも繁殖性の優れている牛が存在することも事実である。
繁殖性の低下を改善するためには、優れた繁殖性を示す高泌乳牛の特性を明らかにすることが必要である。
そこで本研究は、高泌乳牛を分娩後早期の卵巣機能回復の観点から分類し、その卵巣機能に最も重要な代謝因子を見出すことを目的とした。
本論文の第2章では、分娩後早期の卵巣機能回復の早さとその後の繁殖性および泌乳因子との関連性について解析を行った。
分娩後早期に卵巣機能が回復した牛、すなわち分娩後3週間以内に排卵があった牛は、排卵がなかった牛に比べて、
産次に関わらず分娩後の正常な卵巣周期の回復が早くなった(P<0.01)。
さらに排卵した牛のほうが、排卵しなかった牛に比べて、分娩から初回授精までの日数が短く(P<0.05)、
分娩後100日以内の受胎率も高い傾向があった(P=0.09)。
このことから、分娩後3週間以内の初回排卵は、その後の繁殖性をあらわす早期の指標になることが考えられた。
さらに泌乳初期の急激な乳量増加は、分娩後3週間以内の無排卵に関係しており、分娩後の卵巣機能の回復を遅らせることが示された。
したがって、泌乳曲線の利用が分娩後の乳牛の卵巣機能回復に関わる生理状態の評価に利用できると考えられた。
第3章では、この初回排卵に関わる分娩前後の代謝因子について解析を行った。
経産牛では、分娩後3週間以内の排卵の有無で乳量に差がなかったにも関わらず、排卵しなかった牛において、
分娩前後の高い血中GH濃度(P<0.01)と低い血中IGF-1濃度(P<0.05)、分娩後の低いグルコース濃度(P<0.001)がみられた。
一方、初産牛では乳量増加率が低く、乳量も低い牛で血中IGF-1濃度が高く(P<0.001)、
このことが分娩後最初の卵胞波の排卵を引き起こしたと考えられた。
そして、乳量が高く排卵しなかった牛は、排卵した牛に比べて、脂質分解に関連のある血中の遊離脂肪酸やケトン体濃度が高かった(P<0.0001)。
このように初産牛と経産牛で分娩後最初の主席卵胞の排卵に関わる代謝因子は異なっていたが、
そのような中で、排卵した牛の血中のIGF-1レベルが排卵しなかった牛よりも高かったことは確実な現象であった。
以上のことから、第4章では代謝ホルモンおよび繁殖ホルモンと分娩後最初の主席卵胞の排卵との関係性をさらに詳細に解析し、
それに加えてカラードップラー超音波画像診断装置を用いて、局所の血流も含めた主席卵胞の成長も観察した。
この結果、排卵の有無に関わらず主席卵胞は血流を伴いながら成長し、血管新生は卵胞の排卵の有無を決定する因子ではないことが考えられた。
排卵した牛において、主席卵胞の成長期に血中IGF-1濃度が高く、分娩後の負のエネルギー状態による血中IGF-1濃度の低下はその後にみられた。
一方、排卵しなかった牛は卵胞成長期にはすでに血中IGF-1濃度が低かった。
したがって、排卵した牛の卵胞は高いIGF-1濃度にさらされることで、ステロイドホルモン産生や細胞の増殖が促進されたと考えられた。
その後エストラジオール(E2)産生が行われ、E2ピークとともにインスリン濃度が上昇し、卵胞成熟を促進したことが示唆された。
このように排卵した牛では、IGF-1によって高められたE2がLHサージを引き起こし、
分娩後最初の卵胞波の主席卵胞を排卵のステージへと発育させたと考えられた。
一方、排卵しなかった牛にはこのようなホルモン動態は観察されなかった。
これまでの報告で、IGF-1とインスリンは卵胞でのE2産生や細胞の増殖を刺激して卵胞発育を促進することが示されてきたが、
本試験ではさらに分娩後最初の卵胞波の主席卵胞の排卵にとってIGF-1とインスリンが異なる時期に作用することが明らかになった。
さらに血中IGF-1濃度は、分娩後ではない通常の卵巣周期において、プロジェステロン(P4)濃度が低い卵胞期で高く、
P4濃度が高い黄体期で低くなった。
IGF-1が産生される肝臓にはP4レセプターが存在せず、通常IGF-1産生はGHによって制御されることから、
この血中IGF-1濃度の変動はP4がGHパルスを制御することで引き起こされると考えられた。
これらのことから、IGF-1は重要な栄養代謝ホルモンであるが、それよりも卵巣からのステロイドホルモンにIGF-1産生が
関与している可能性が考えられた。
以上の結果から、高泌乳牛において、分娩後最初の卵胞波の主席卵胞の排卵がその後の早期の卵巣機能回復や高い繁殖性を引き出す要因であり、
この排卵には産次や乳量に関係なくIGF-1が最も重要な因子として関わっていることが示唆された。
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