氏 名 じん しげき
神  繁樹
本籍(国籍) 神奈川県
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連論 第114号
学位授与年月日 平成18年9月29日 学位授与の要件 学位規則第5条第2項該当 論文博士
研究科及び専攻 連合農学研究科
学位論文題目 コムギの耐冬性に関与するフェニルプロパノイド誘導体の単離と構造解析
( Isolation and characterization of derivatives of phenylpropanoid relating to winter hardiness in wheat (Triticum aestivum L.) )
論文の内容の要旨

 コムギ(Triticum aestivum L.)は土壌や気候に対する順応性が高く,世界で最も広く栽培されている. 栽培地帯の広い一つの要因として春播型と秋播型に品種が分化していることがあげられる. 春播品種に比べ秋播品種は収量性に勝るものの,北海道のような冬の気象条件が厳しい地帯では冬損による被害を受け易いため, 育種改良が求められている. 秋播コムギをはじめとする越冬作物は冬期特有の様々な環境ストレスを受けながら生育しており,それらに対する耐性を獲得する能力を持っている. 耐凍性のほか,積雪(耐雪性)や病害(雪腐病抵抗性)など冬期低温環境で起こるストレスに耐えて越冬しうる性質は耐冬性と定義される. 特にコムギに関しては低温順化(Cold acclimation)と呼ばれる低温耐性獲得の生理機構が働き,耐凍性を増強する. また,低温順化は積雪下で発生する好冷性糸状菌が引き起こす雪腐病と称される病害に対する耐性獲得にも関与しており, 耐冬性に大きな役割を果たしている. これら低温順化に関する基礎的研究は,品種改良を通して安定的なコムギ生産のために不可欠であり, 植物生理学や分子生物学の手法により数多くの遺伝子や蛋白質について研究が行われている. しかし,低温順化に関わる低分子化合物についてはアミノ酸や植物ホルモンなどの一般に良く知られた物質の研究に限られている.

 本研究は,低温順化条件下と積雪下でのコムギで特異的に誘導・蓄積される二次代謝物を単離し, 構造解析することにより耐冬性機構の一端を化学的側面から解明するとともに耐冬性獲得に関わる生物活性について検証することを目的として行った. 研究には北海道の基幹品種であるチホクコムギをもちいた.

 人工環境下で通常条件(平均気温18℃)で栽培したコムギを低温順化が誘導される温度条件(平均温度1℃)の環境に移すことによって 3-フェルロイルキナ酸(3-Feruloylquinic acid)とケイ皮酸アミドのフェルロイルアグマチン(Feruloylagmatine)が 誘導・蓄積されることを明らかにした. 3-フェルロイルキナ酸はヒドロキシラジカルをトラップする抗酸化活性を有することが確認され, 一方フェルロイルアグマチンはコムギの雪腐病原因菌の一つである紅色雪腐病菌(Microdochium nivale )に対し 抗菌活性を有することが明らかとなった. また,3-フェルロイルキナ酸蓄積量の部位間差と時間変化について詳細な調査を行ったところ,コムギの根冠部よりも葉部に多く蓄積し, その増加は直線的なものであることが分かった.

 圃場における積雪下では,パラクマロイル-3-ヒドロキシアグマチン(p -Coumaroyl-3-hydroxyagmatine)と パラクマロイルアグマチン(p -Coumaroylagmatine)が蓄積されることを見出した. 両化合物はいずれも植物病原菌類に対して抗菌活性を有するケイ皮酸アミドであるが, 本研究ではこれまでに報告のなかった紅色雪腐病菌に対しても抗菌活性を有することを実証した. 積雪下のコムギにおけるこれら物質の部位別(根冠部と葉部)の時期変化を3年間にわたって圃場環境下で調査したところ, パラクマロイルアグマチンは積雪前から積雪初期にかけての量は部位に関係なく低い水準で推移し, 2月から3月の積雪後期になって蓄積量を急激に増やして雪解け直前に最大になった. さらに,雪解け後は直ちに蓄積量が減少し出すことが観察された. パラクマロイル-3-ヒドロキシアグマチンもほぼ同じ推移を示したが,こちらは雪解け直後でも蓄積量の急激な減少が見られなかった. また,両物質とも葉部より根冠部に多く蓄積される傾向が認められた.

 コムギ体内において低温処理や積雪下で誘導・蓄積される以上4種の物質はフェニルプロパノイドの誘導体であり, 二次代謝系ではその合成にPAL(フェニルアラニンアンモニアリアーゼ)が欠かせない存在である. PALは低温を含む様々なストレスで活性誘導されることが知られており,本研究でもそれが確認され, 結果として抗酸化や抗菌といった活性を有する物質が生体防御反応の一部として蓄積されたものと推察した. これらの物質はコムギでは初めて単離,構造決定されたものであり,その生物活性からコムギの耐冬性に関わる二次代謝物であることが示された.