本論文はリンゴ果実をジュースに加工する過程で排出されるリンゴ搾り粕を液体麹により糖化し、
リンゴ搾り粕糖液からカプロン酸エチル高生産酵母によるフレーバーアルコール製造の技術開発を扱ったものである。
研究の成果は以下のようにまとめられている。
1.カビ由来の酵素液を用いたリンゴ搾り粕からのエタノール生産性の向上
リンゴ搾り粕に含まれる可溶性糖類の組成はりんご果汁と同様フルクトース・グルコース・シュクロースであった。
水不溶性多糖類はペクチン、セルロース、ヘミセルロースの順に多く含まれていた。これらの多糖類を加水分解して
可溶性糖類を生産するカビとしては、麹カビ Aspergillus oryzae、A. niger よりは Botrytis cinereaが適していることを明らかにし、
B. cinerea 30915株を液体麹製造用菌株に選抜した。
リンゴ搾り粕でB. cinerea 30915を培養することにより調製した液体麹と Saccharomyces cerevisiae kw4株をリンゴ搾り粕に添加し、
リンゴ搾り粕の糖化と発酵を並行的に行うことにより、エタノール生成量は液体麹無添加での場合の1.44倍まで増加し、
発酵後のリンゴ搾り粕残渣は約32%まで減少した。
また、カプロン酸エチル高生産変異株3703-7株を同様の方法で培養することにより、エタノールの生成と共にカプロン酸エチル、
酢酸エチルと酢酸イソアミルが生成された。
これらの結果から、液体麹を使うことによりリンゴ搾り粕の水不溶性物質が分解され、酵母の利用できる還元糖が
生成されると共にエタノールおよび吟醸香芳香物質が得られることが明らかになった。
2.カプロン酸エチル高生産株3703-7株の菌学的特徴
セルレニン耐性で育種されたカプロン酸エチル高生産株3703-7株は親株3703株と同様、卵状細胞で多極出芽により増殖するが、
前者は後者に比べてグルコースおよびエタノールに対する耐性が弱いことを明らかにした。
そして、両者の相違を詳しく調べるため、DNAマイクロアレイを用いて3703-7株の遺伝子発現解析を行った結果、
変異株において解析された約6,000遺伝子の約10%が親株と異なった発現を示した。
高発現遺伝子が関与する代謝経路の解析により、3703-7株は親株と比較して培養条件に対し何らかのストレスを受け、
エネルギー生産および物質代謝が活発になっていることが示唆された。
また、高発現しているストレス応答遺伝子の分類により、膜系の保護および浸透圧ストレス応答に関わる多くの
ストレス応答遺伝子が誘導されていることが示唆された。
以上の結果から、細胞膜の主要な構成要素である高級脂肪酸合成が親株3703株のように正常に機能しないために、
培地中の糖やエタノールなどからストレスを受けていることが示唆された。
3.カプロン酸エチル高生産株による香気物質の生産性の向上
3703-7株による吟醸香芳香物質の生産条件を検討し、温度は生育適温の25℃、グルコース濃度は15%が最適であること、
糖類ではグルコースよりはフルクトース、シュクロースの方がカプロン酸エチルを多く生成することを明らかにした。
また、3703-7株の休止細胞にグルコースおよびエタノールを作用させることにより、休止細胞を使っても吟醸香芳香物質成分の
カプロン酸エチルや酢酸エチルを生成できることを明らかにした。
リンゴ搾り粕から糖濃度(6.4%、10.4%)の異なる2種類の抽出液を調製し、3703-7株による芳香物質の生産を調べたところ、
糖濃度10.4%を含む抽出液で培養した方がカプロン酸エチルは多く生産され、25℃、8日間の培養後、エタノール、
カプロン酸エチル、酢酸エチル、酢酸イソアミルがそれぞれ5.23%, 3.12ppm, 6.03ppm, 0. 54ppmに達することが明らかとなった。
この発酵液を蒸留することにより、リンゴの香りに加えてカプロン酸エチルの甘い香りを有するエタノール32.27%の
フレーバーアルコールを回収することができた。
以上の結果、リンゴ搾り粕に含まれる糖類を発酵させることにより、吟醸香芳香物質を含むフレーバーアルコールを製造出来ることが、
初めて明らかとなった。
これらの一連の研究により、リンゴ搾り粕からカプロン酸エチルの華やかな香りを持つフレーバーアルコールの製造技術が開発できたことから、
芳香物質を生成する酵母を使うことによりリンゴ搾り粕を原料とした多様な香気発酵が可能になり、
リンゴ搾り粕の工業原料としての有効利用に道を開くことができた。
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