氏 名 佐野 卓磨 本籍(国籍) 北海道
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第308号
学位授与年月日 平成17年3月23日 学位授与の要件 学位規則第4条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物資源科学専攻
学位論文題目 ニンジンの体細胞胚形成の初期段階に特異的に発現する遺伝子やタンパク質の同定と機能の解析
(Identification and characterization of genes and proteins expressed preferentially at early stage of carrot somatic embryogenesis)
論文の内容の要旨

 植物は動物と違い体細胞から容易に胚が発生し個体をつくることができる、いわゆる分化全能性の 性質を持っており、これまでこの体細胞胚形成に関して多くの研究が行われてきた。そのうち、ニンジンは 体細胞胚発生が容易であることから最もよく研究が行われている。しかし、従来の実験系は体細胞から一旦カルスや 懸濁培養細胞を誘導し、その中から胚発生能をもつ細胞を選抜するという複雑な系であり、また、体細胞から直接 胚が形成されないことから、研究の対象が制限されていた。現在、体細胞から直接胚形成が可能な新しい体細胞胚形成系が 開発されこれまで出来なかった種々の研究が可能になりつつある。本論文はこの実験系を用い体細胞から胚形成可能な 細胞への転換と、その転換した細胞から胚への発生の最も初期の段階ついての研究を行った。

 ニンジン体細胞から胚発生可能な細胞の転換は、胚軸切片を2,4-Dで処理するによって可能であり、 2,4-D処理した細胞は分裂を開始し細胞塊を形成し、次いで胚が発生する。そこで体細胞から胚発生能をもつ細胞への 転換に関与する遺伝子の検索は、胚軸を2,4-Dで処理した時に特異的に発現する遺伝子で検討している。 Differential display法の結果、特異的なNo.130、No.151とNo.209の3個の遺伝子を得ることができた。 また、これらの遺伝子はいずれも胚発生段階でも継続して発現していた。No.130はshort-chain alcohol dehydrogenaseと 相同性が高く、転写産物は細胞塊で高い発現量を示し、胚形成段階ではほとんど発現しない。 No.151は新規の遺伝子であった。encodeされるタンパク質はリジン含量が相対的に高い塩基性タンパク質であった。 転写産物は細胞塊では発現量は少なく胚発生段階で高かった。No.209はLSR1やBRI1などのLRR-RLK familyと 高い相同性をもっていた。receptor kinaseドメインをもち細胞内情報伝達系に関与する主要なタンパクであろうと推定される。 また既に見出されているDcSERKと直接相互作用をすることを見出した。転写産物は細胞塊および心臓型胚段階で高く、 魚雷型胚では低くなっていた。この細胞内情報伝達機構が体細胞から胚発生可能な細胞への転換および胚発生に どのように関与しているのか興味ある。

 胚発生の最も初期の段階、即ち単細胞が分裂して細胞塊を形成し、それが胚になる段階に特異的に発現する タンパク質を検討した。その結果、P-19.5タンパク質を検出し、単離し、このタンパク質に対する抗体を得た。 得られた抗体はP-19.5以外に2つのタンパク質(P18.6とP-16)を認識した。このタンパク質をプロテアーゼで消化し、 構成するペプチドを解析した。このペプチドから遺伝子を検出し構造解析をおこなった。その結果、P-19.5遺伝子は allergenタンパク質と高い相同性をもっていた。抗体で認識したP-18.6とP-16についても検討した。 この2つのタンパク質もallergen様タンパク質であった。P-19.5とP18.6は、その転写産物が細胞塊と心臓型胚に蓄積し、 それ以降の胚では少ない。これはタンパク質量の消長パターンと一致した。それに反して、P-16の転写産物は 細胞塊と各種の胚の全ての段階に存在し、タンパク質量の消長パターンと一致した。

 細胞塊から胚への形態形成過程で細胞の退化が起こる現象を観察した。即ち、細胞塊は全体が胚になるのではなく、 細胞塊の一部が胚になり、残りの部分は退化する。また、一個の細胞塊から複数の胚が形成する場合もあるが その時も複数の退化する部分がある。一方、退化が起こらない場合が観察されるが、その場合複数の胚が融合して奇形が生じる。 このように、胚の正常な形態形成には退化が必須であると思われる。この退化する部分はEvans blueで染色され、 さらにDAPIで染色されないことを見出した。このことは退化が細胞死を伴うことが予想された。大麦の胚形成過程でおこる 退化にnucellin遺伝子が関与することが報告されている。本研究で胚形成時にnucellin遺伝子を単離しており、 これがニンジン胚形成時の退化と関連があるかどうかを検討したが、whole mount in situ hybridizationの結果、 関係がないことがわかった。nucellin遺伝子は心臓型胚の中心部から基部に強く発現しており、むしろ胚形成に関与して いるものと思われる。

 体細胞胚形成において、最も興味ある過程は体細胞から胚形成能をもつ細胞への転化時期であり、 また転化した細胞から胚が形成される最も初期の段階である。本論文では、これらの時期に特異的に発現する遺伝子を 検索した結果、種々の興味深い遺伝子を見出した。その中には外部からの情報を細胞内に伝達する場合に関与する receptor kinase遺伝子も含まれている。このような遺伝子また本研究で単離された遺伝子が胚形成過程でどのような 役割を果しているかは今後の課題である。