氏 名 YANG, Ping
楊  平
本籍(国籍) 中国
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第284号
学位授与年月日 平成16年3月23日 学位授与の要件 学位規則第4条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物環境科学専攻
学位論文題目 天蚕前幼虫における休眠制御因子の同定と機能利用
(Identification and technology of regulatory molecules associated with diapause in pharate first instar larvae of the wild silkmoth, Antheraea yamamai)
論文の内容の要旨

 昆虫はその生息圏を拡大していく過程で多くの不適環境に遭遇し、これを克服するための さまざまな生活史戦略を獲得してきた。その一つが休眠である。日本原産の大型絹糸昆虫であるヤママユ (通称天蚕、Antheraea yamamai)は一化性の昆虫で、秋に産下された卵はそのまま卵態で翌年の春まで 休眠越冬を行う。卵内では、幼虫体を完全に形成した後、孵化直前で休眠に入るため、この様式は前幼虫休眠と 呼ばれている。イミダゾール系化合物であるKK-42が天蚕の前幼虫休眠に対して休眠打破効果をもつことが発見され、 今日人工孵化法として確立している。また天蚕の前幼虫休眠の場合、昆虫における主要なホルモン系は直接関与せず、 前幼虫の中胸部位に存在する抑制因子によって制御され、また後休眠期は腹部第2腹節~第5腹節に存在する 成熟因子で制御されているというモデルが提案されている(Suzuki et al., 1990)。 胚休眠するカイコでは、休眠ホルモンが誘導ホルモンとして知られており、このホルモンの構造は24個の アミノ酸残基から構成されているペプチドホルモンで、C末端がアミド化されている。しかし、前幼虫休眠について、 休眠関連の生理活性物質は全く同定されていない。

 従って、この両因子の同定は天蚕の前幼虫休眠の全容を明らかにするうえで不可欠なものである。 また両因子は、多くの生物に共通な休眠というメカニズムに関連するもので、単離、構造および遺伝子の解析は 生物学的見地から意義深いものである。そこで、本研究では、第1章において抑制因子を単離精製し、その構造や 機能を解析した。第2章では、成熟因子の抽出精製法を改良し、HPLCシステムを用いた各種カラム樹脂の 組み合わせにより成熟因子の単離精製を試みた。そして第3章では、合成したペプチドの機能開発について検討した。

 1.本実験で使用した酸メタノール溶液による抽出法では、従来より簡便で天蚕抑制因子の活性画分を多量に 回収することができた。この活性画分を逆相カラムのTSKgel ODS-Ts で 2回溶出し、続いて陽イオン交換モードを有する 混合分離モードカラムのRSpak NN-614 で分離したところ、最終的に抑制因子活性と確認できるピークを単離精製することが できた。プロテインシークエンサー、TOF MS、および生物検定の解析より、5個のアミノ酸残基から構成される ペプチド(DILRG)で、そのC末端がアミド化(DILRG-NH2)されていることを明らかにした。 また、生理活性と濃度の関係から天蚕の休眠を維持する因子であることを明らかにした。さらに、ホモロジーサーチから 生物界において相同性を示すペプチドは存在せず、新規の生理活性ペプチドであることを提案した。

 2.抑制因子の単離に成功した酸メタノール溶液による抽出法で、休眠覚醒前幼虫の全体磨砕物から成熟因子活性画分を 得ることができた。成熟因子は従来の報告と同様に、熱に安定なペプチド様物質であった。得られた成熟因子活性画分については、 逆相HPLCシステムと各種カラム樹脂の組み合わせにより、単一ピークの段階まで精製を進めることができた。 これらの結果から、成熟因子同定の展望を示した。

 3.新規生理物質が休眠状態を維持する機能を有するとなると、この機能の普遍性が次ぎに重要な課題となる。 そこで、本研究で単離構造決定した天蚕の抑制因子(DILRG-NH2)が、細胞増殖の活発なラット肝がん細胞 (dRLh84)とマウス脾臓リンパ細胞に与える影響を検討した。その結果、天蚕の抑制因子はラット肝がん細胞に選択的に 増殖抑制活性を示し、マウス脾臓リンパ細胞には全く影響を及ぼさなかった。その増殖抑制機構を解析したところ、 がん細胞の細胞周期のG0/G1期を増大することで、細胞増殖を抑制していた。従来報告されている昆虫由来の がん細胞抑制物質は、アポトーシスに伴う核の凝縮や断片化を誘導したり、細胞殺傷化で生細胞を減少させるものである。 しかし、新規生理活性ペプチドの場合は細胞周期に作用し、結果的に生細胞の細胞周期が長期間となり、最終的には 細胞増殖を抑制していると考えられた。以上のように、本研究では天蚕休眠前幼虫の抑制因子を同定し、その構造や 機能を明らかにした。また成熟因子の生理特性を検討し、単離精製法を確立した。これらの知見は、前幼虫休眠のみならず、 多くの昆虫における休眠制御機構の解明のために、有力なペプチド分子情報を提案したことになる。さらに、新しい 創薬開発の可能性の視点から昆虫由来の新規生理活性物質の機能を提案した。