氏 名 佐波 勇人 本籍(国籍) 千葉県
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第244号
学位授与年月日 平成15年3月20日 学位授与の要件 学位規則第4条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物環境科学専攻
学位論文題目 An Investigation on the Syntheses of Coatings and Adhesive Agents from Agricultural Products
(農業生産物を原料とする塗料と接着剤の合成に関する研究)
論文の内容の要旨

 優れた天然塗料・接着剤である天然漆の反応系を参考に設計した反応系による、 農業生産物や天然物を原料とする環境適合型の塗料・接着剤の合成に関する研究である。

 漆の欠点として、供給安定性に劣り高価な事、産地や生育条件により硬化速度や硬化膜特性も大きく異なる事、 湿布乾燥工程が律速で大量生産に向かない事、芳香環を含むため焼却の際ダイオキシン類の発生要因になり、 長い含芳香環共鳴系を持つため光劣化しやすい事などが挙げられる。反応系の設計に当たって、 これらを可能な限り解決する事を主眼においた。漆は、モノマーであるウルシオール等のアルケニルカテコール類(かぶれの原因)、 酸化重合触媒であるラッカーゼ、相溶化剤である多糖と糖蛋白の3主成分から成る。本研究ではモノマーに芳香環を含まない、 トリアシルグリセロール(TG)を選定した。TGは農業生産物や天然物として安価・安定に入手することが出来る。 高不飽和度TGやその加熱重合TGは、現在工業的に塗料、印刷分野に広く用いられている。酸化触媒には、 天然漆液由来により容易に安定大量生産が出来る白色腐朽菌由来のラッカーゼを選定した。ラッカーゼは、 空気中の酸素でターンオーバーし過酸化水素を必要としない利点がある。また基質特異性が低く、 様々な含芳香環共役極性基を酸化する。しかし、酸化還元電位がより高い非共役極性基や共役非極性基は通常酸化されない。 更に、ウルシオールの炭素鎖に含まれる共役2重結合と異なり、不飽和TGは通常非共役2重結合で反応性に劣る。すなわち、 TGの被酸化部位として想定されるallyl位水素は脂肪族非極性基であるため、ラッカーゼによるTG酸化は期待できない。 このため本研究の焦点は、ラッカーゼでTGの酸化をいかに行うかにある。そこで、 比較的安定なラジカルやカチオンを生じる物質(メディエーター)を反応系に加えると、 酸化還元電位が高い芳香族化合物も酸化されるという報告に着目した。本研究では、報告例が無いTGのラッカーゼによる酸化が、 様々なメディエーターの存在下で実用的な高濃度基質・穏和条件で起こる事を見出し、反応系の特徴を検討した。 また、同条件下での脂肪酸酸化の場合と比較を行い、実用面にも影響を与える相違点を発見した。更に、 既存のメディエーターが有する欠点を持たない有効な新規メディエーターを発見した。

 酸化反応は水油2相系で空気中40℃下24時間行った。TGはアマニ油、オニグルミ油、菜種油、月見草油を用いた。 ラッカーゼはPycnoporus coccineus 由来のものを用いた。メディエーターには芳香族化合物の酸化で報告例が多いABTS (2,2'-azinobis(3-ethylbenzoline-6-sulfonate)), HBT(1-hydroxybenzotriazole)等を、TG(脂肪酸残基換算)の5mol%用いた。 ラッカーゼ/メディエーターの組み合わせ系のみでTGの実質的酸化が見られ、アマニ油/ラッカーゼ系にABTS, HBTを添加した場合が特に高活性で、各々15.6倍、10倍に酸化活性が増加した。酸化TGはUV-, IR-スペクトルおよびサイズ排除クロマトグラフィー(SEC)により分析した。重合反応や脂肪酸残基主鎖の分解反応なしに、 TG分子内に共役ジエンペルオキシド単位が生成しているものと考えられた。 対照的に、工業手法的に空気中加熱酸化したTGは低・高分子量成分を含んでいた。同様の条件下で、TG構成脂肪酸のリノール酸、 リノレン酸もラッカーゼ/メディエーター系により酸化されたが、低・高分子量成分が生成した。低分子量成分は、 分画、GC/MS分析により過酸化脂肪酸の分解生成物と考えられ、揮発性アルデヒドを含んでいた。 反応機構はサイクリックボルタングラム測定により、既報の水系での芳香族化合物酸化とは異なり、 電子移動を伴わない酸化機構である事が示唆された。

 既存のメディエーターは毒性、価格、入手性、着色に問題があるものが多いため、天然物、 天然物由来フェノール誘導体をメディエーターとして検討した。HBAMe (methyl-4-hydroxybenzoate), HBAld (4-hydroxybenzaldehyde) が、合成メディエーター中で最高活性を示したABTSと同等の高い酸化活性を示した。 HBAMe, HBAldは、白色腐朽菌に含まれるhydroxybenzoic acid から容易に得られる安全な誘導体で、 石油科学的にも安価に大量合成されており、既報メディエーターの様な上記欠点を持たない。 食品酸化防止剤でもあるHBAMeがメディエーターとして有効な事は、本研究により初めて明らかとなった。 ラッカーゼ/フェノール誘導体メディエーター系によるTGの酸化活性は、その酸化電位と相関があることが分かった。 本手法により得られた酸化TGはアルデヒドなどの揮発性成分を含まず、かつ高分子量成分を含まないため、 流動性に優れた低揮発性塗料や接着剤の用途に応用できる可能性が有る。本酸化TGにコバルト有機酸塩を添加すると、 約2.5時間で耐水性を発現、約3時間で指触乾燥し耐水性湿布膜が得られた。

 ラッカーゼ/メディエーター系は、 多環芳香族化合物などの環境汚染物質の分解とリグニン由来の芳香族化合物分解によるパルプ漂白という2大分野への応用目的で盛んに研究されて来たが、 本格的な実用化には至っていない。その大きな原因の一つに、既存メディエーターの持つ前述の欠点が挙げられる。 本研究で有効性が示されたHBAMe, HBAldはその欠点を持たないため、それらの分野への広範な応用展開も期待される。