氏 名 酒井 雅人 本籍(国籍) 北海道
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第241号
学位授与年月日 平成15年3月20日 学位授与の要件 学位規則第4条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物資源科学専攻
学位論文題目 有用昆虫由来の新規タンパク質の構造と機能の解析
(Structure and function of novel proteins identified from useful insects)
論文の内容の要旨

 昆虫類は,地球上に生息する最大の動物群である.昆虫類の大部分は野生種であるが, カイコBombyx mori とセイヨウミツバチApis mellifera は家畜化に成功した数少ない昆虫種であり, 古代より繭やハチミツなどの生産物を利用してきた代表的な有用昆虫である. これらの生産物以外にも昆虫には数多くの機能性を有し,その機能性を利用した産業への応用が考えられる. カイコやセイヨウミツバチでは,休眠や女王蜂分化などの特徴的な機能性が知られているが,未解明な部分が多く, 依然として研究が精力的に展開されている.

 2化性カイコは外因性の卵休眠をおこなう昆虫種である.その卵休眠機構は, 卵期での温度と日長による外因性刺激の情報を保持したまま, 幼虫期を経て蛹期に休眠ホルモンを分泌制御することで次世代の卵休眠が決定付けられる.この卵休眠機構のうち, 休眠ホルモンの構造や作用機構など蛹期以降に関与する知見は多く蓄積されているが, 卵期での環境情報受容から休眠ホルモン分泌制御に至るまでの過程において, どのような伝達系を形成しているか明らかになっていない. その環境情報の記憶機構の糸口となりうるタンパク質(27Kタンパク質)は単離されているが, 構造に関する知見は部分アミノ酸配列しか知られていない.

 一方,セイヨウミツバチは,女王蜂と働き蜂,雄蜂の三つのカーストから構成される代表的な社会性昆虫の一つである. 受精卵から孵化した幼虫は,女王蜂もしくは働き蜂への分化が可能な二分化能を有し, それぞれの分化への誘導は摂食する餌で決定される.女王蜂の幼虫はローヤルゼリーと呼ばれる餌を摂食し, その構成は働き蜂の二つの外分泌腺からの分泌物とハチミツとの混合物である. ローヤルゼリー中に含まれる女王蜂分化の決定因子に関する研究は数多くおこなわれ, 分子量1,000から10,000の物質が決定因子と推定されているが,決定因子の同定までは至っていない. ローヤルゼリーから単離された分子量5,540のペプチド(RJP)は, 女王蜂分化の決定因子の分子量の条件に適していることから決定因子の可能性があるが, RJPの局在性や機能については知られていない.

 本研究では,カイコの卵休眠の関与が示唆された27Kタンパク質と, セイヨウミツバチの女王蜂分化の決定因子の可能性があるRJPについて,それぞれの構造と機能について解析した.

 1.27Kタンパク質の一次構造を明らかにするため, 部分アミノ酸配列に基づいて合成したオリゴヌクレオチドをプローブに用いてcDNAライブラリーから27Kタンパク質をコードするcDNAのクローニングをおこない, 塩基配列を同定しアミノ酸配列を推定した.その結果,1,382bpをコードする全長cDNAクローンを得ることができ, 201アミノ酸残基を推定した.その推定したアミノ酸配列と既知タンパク質との相同性検索で一致するタンパク質の存在は認められず, 新規タンパク質と判明し,Bombyrinと命名した.Bombyrinの推定アミノ酸配列には, lipocalin familyの3か所のコンセンサス配列が全て存在し,Bombyrinはkernel lipocalinに属すると考えられた. 生体内でのBombyrinの構造は,ホモ5量体から構成する糖タンパク質であると判明した.さらにNorthern blotおよびWestern blotの結果から, Bombyrinは中枢神経系のみに局在し,胚発生の70%以降から常に存在することが明らかになった.

 2.Bombyrinの機能解析に使用するタンパク質を得るため, 昆虫細胞-バキュロウイルス系を用いた遺伝子発現による組換え型Bombyrinの大量生成をおこなった. 得られた組換え型Bombyrinは電気泳動分析から天然型Bombyrinと同一であると判断し, 組換え型Bombyrinを用いた機能解析で二つの機能性を示すことができた.一つは, 非休眠卵産生蛹の中枢神経節と組換え型Bombyrinとの共培養をおこなった培養液を非休眠卵産生蛹に注入し, 産下した卵の着色を促進させる作用を示した.この産下卵は非休眠卵にもかかわらず, 休眠様の卵着色の変化が認められた.このことは卵休眠機構を解明する上で重要な情報になると考えられる. もう一つは,二価金属イオンの存在下で組換え型BombyrinとATP,NDPを反応させると, NDPに対応する三リン酸型ヌクレオチドとADPが生成することから,組換え型BombyrinはNDP kinase様活性があることを示した. NDP kinase様活性を示したLipocalin タンパク質としては,Bombyrinが初めての知見である.

 3.RJPに関する報告はなく新規のペプチドと考えられていたが,最近の報告で同一の構造を有したペプチド (Apisimin)の存在が明らかになった.本研究では,全く検討されていない機能解析を含め, より詳細に以下のことを明らかにした.Northern blotによりRJP遺伝子は働き蜂の下咽頭腺に特異的に発現し, さらに加齢に伴って発現量が増加した.また,大腸菌を用いた遺伝子発現系による組換え型RJPの大量生成をおこない, 得られた組換え型RJPを添加した人工飼育で女王蜂分化について検討した.その結果, 完全な女王蜂型の成虫は出現しなかったが,女王蜂型の傾向を示した中間体の成虫を出現させることができた. このことからRJPは女王蜂分化に対して部分的な効果を有することが示唆され, 女王蜂分化の解明に重要な糸口となり得る.

 以上のように,本研究ではカイコおよびセイヨウミツバチから新規タンパク質の構造と機能を解析した. これらの知見は休眠や女王蜂分化の解明のみならず,新たな昆虫機能分野の開拓につながると考えられる.