氏 名 TAN ANJIANG
譚 安江
本籍(国籍) 中国
学位の種類 博士 (農学) 学位記番号 連研 第239号
学位授与年月日 平成15年3月20日 学位授与の要件 学位規則第4条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻 連合農学研究科 生物環境科学専攻
学位論文題目 Identification and gene analysis of tissue-specific and novel proteins in the suboesophageal body of the silkworm, Bombyx mori
(カイコ食道下体における新規及び組織特異的なタンパク質の同定と遺伝子解析)
論文の内容の要旨

 昆虫の食道下体は、前腸と中腸の間において正中線を横断するように存在している帯状の器官である。 カイコでは、Toyama (1902)が胚発生期における食道下体を記載し、中胚葉起源であると指摘した。桜井(1915) は幼虫期の食道下体の形態を記載した。さらに、近年では超微形態の観察から赤井(1976)が、 摂食期間中には細胞質が暗調顆粒で満たされ、眠期にはこれがすべて崩壊し体液中に放出されると示唆している。 最近、Sato(1998)によってカイコ幼虫4眠期の食道下体の細胞質は様々な電子密度の顆粒で満たされおり、時折、 顆粒を形成する膜が細胞膜と融合している像が観察された。この像は、 食道下体細胞がエキソサイトーシスによって顆粒内容物を血リンパへ放出していることを示すものと考えられた。 しかし、食道下体の生理機能に関してはまだ明らかになっていない。そこで本研究ではカイコ食道下体の生理機能の解明を目的として、 分子生物学的手法を用い、食道下体における組織特異的および新規タンパク質を同定し、遺伝子解析を行った。

 その結果、HPLCならびにSMART システムを用いて4眠幼虫食道下体の酸メタノール抽出物から分子量約7Kのペプチトを分離できた。 またプロテンシークエンサーの解析より、このペプチトのN-末端アミノ酸部分配列はカイコ幼虫血液から同定されているカイコchymotrypsin inhibitor (SCI) と高い相同性があった。さらに作成した食道下体のcDNA Libraryを用いて、TA cloningにより、このペプチトの全塩基配列を決定した。 塩基配列から推定されたアミノ酸配列は、SCIのアミノ酸配列とほぼ90%の高い相同性があった。アミノ酸構成の比較からSCI-SBはほかのSCIに比べて、 異なる予想活性中心を持つことが明らかになった。in situハイブリダイゼーションを用いてSCI-SBのmRNAが細胞質で発現していることを確認した。 ノーザンブロッティングの結果より、SCI-SBのmRNAが食道下体だけで発現していることも判明した。以上の実験結果より、カイコ食道下体における新規SCI (SCI-SB)を同定し、初めて遺伝子レベルでSCIの解析を行った。またSCI-SBは食道下体で特異的に発現することから、 食道下体は独特な生理機能を持つと推論された。

 食道下体と脂肪体のタンパク質構成をSDS-PAGEで分析した。脂肪体に比べると、食道下体ではいくつか特異的なバンドが観察された。 そして著しい違いは、分子量14.8KDaのタンパク質の存在であった。このタンパク質のN-末端アミノ酸部分配列はカイコリゾチームと一致した。 またcDNA sequencingにより、食道下体で発現しているリゾチームの全塩基配列を決定し、 脂肪体で同定されたリゾチームと同じ遺伝子であることを確認した。Western ブロッティングの結果より、 幼虫4眠期で食道下体と体液だけでリゾチームの存在を確認し、また幼虫の発育とともに、食道下体におけるリゾチームは高い濃度で維持されていた。 in situ ハイブリダイゼーションを用いて、カイコ食道下体でリゾチームmRNAが発現していることを確認した。ノーザンブロッティングの結果より、 リゾチームmRNAの発現は細菌の感染によってupregulationすることが明らかになった。 リゾチームは昆虫において体液に存在する抗菌因子として最初に同定された生体防御タンパク質であり、 カイコ食道下体におけるリゾチームの発現と高い蓄積量により、カイコ食道下体が生体防御に関与することを示唆している。

 食道下体と脂肪体のSDS-PAGEの分析結果より、食道下体ではリゾチーム以外もう一つの分子量27Kの特異的なバンドが観察された。 二次元電気泳動よりこのタンパク質(P27K)を分離し、プロテンシークエンサーによって、N-末端アミノ酸部分配列を決定した。 さらにcDNA sequencingにより、P27Kの全塩基配列を決定した。塩基配列から推定されたアミノ酸配列は、 Manduca sexta幼虫血液中の29Kタンパク質と高い相同性があった。またノーザンブロッティングの分析から、 P27KのmRNAは絹糸腺以外の複数の組織器官においていずれも発現し、どの発育時期においても発現していることが明らかになった。 RNAi(interference)を用いてP27K機能の破壊を検討したが、P27Kの発現は完全に抑制されることなく、 顕著な影響は観察されなかった。機能解析を行うために、Baculovirus系によってP27Kの大量発現を行った。 P27Kの生理機能が依然として不明であるが、発現の普遍性と豊富な存在から重要な生理機能を有すると推論される。

 以上のように本研究では、カイコ食道下体から3種類のタンパク質を同定し、これらの新規および組織特異的なタンパク質の解析より、 食道下体は昆虫生体防御系を支える一つの特有な器官であることを提案した。本研究による新しい知見は、 昆虫において生理機能が不明のままになっている器官について重要な糸口を切り開いた。