本論文は、青森県上北郡六ヶ所村において1960年末に始まる「むつ小川原開発計画」
における経済分析を内容とする。具体的には、この開発計画に関係した組織・人々である青森県、
六ヶ所村、経済界、電力業界、地域住民の損益関係を全国的視点から総括する。
むつ小川原開発計画・核燃サイクル事業は、それらに関係した組織・人々が社会経済環境を所与の条件に、
短期的な経済合理性追求のための利潤獲得機会を提供してきた。このことが大規模工業基地建設をめざす地域開発、
安全性や経済性をそなえた電源開発を指向するエネルギー政策という本来の構想から著しく逸脱しながらも継続される最大の理由である。
受益者としての組織・人々は、本来的構想からの乖離には、国や関係機関の権威を背景に柔軟な軌道修正で現状を追認し、
開発計画・核燃サイクルの推進は貫徹された。この開発計画・核燃サイクル問題における受益者・損失者を生み出す損益関係の基盤は、
納税者・電力需要者である広範な国民から自動的かつ強制的に資金徴収し、それを受益者に供給する合法的な制度である。
そしてこの制度の利用を可能とする最も重要な手続きが、政府与党と関係省庁間の合意である国策としての認定という権威の付与である。
むつ小川原開発計画・核燃サイクル事業は、市場経済のなかで存立が不可能な産業立地や電源開発を政策的に企画・立案し、
国の権威を背景に推進されることにその本質的特長がある。それらが初期投資として巨額な公金を投じた後、
将来的に地域住民・国民の福利厚生の向上に帰結する地域政策、あるいは安全性、
経済優位性を確立するエネルギー政策としての展望をもつなら社会的に正当化されうる。つまり開発計画・核燃サイクルは、
一定期間、国や地方自治体の財政支援を受けた後に、とくに経済優位性を高めることで、
市場のなかで自律的な存在として公的機関の庇護から離れるべきものである。そうした展望が失われたのであれば、
政策的失敗として計画や方針は撤回され、巨額の公金投入は早急に中止されなくてはならない。
むつ小川原開発計画・核燃サイクル事業は、それらの本来的構想における目的達成が明らかに困難となった後も長期間、
軌道修正をかさね継続された。
その推進者は開発計画・核燃サイクルでの受益者で、それらの組織・人々は利益獲得機会維持という自らの経済合理性を追求する決定・選択をしてきた。
こうした受益者は、中央ならびに地方での政界、経済界、各省庁、地方行政などとの利益配分を通じて強固な利権関係をつくりあげ、
業界関連の組織票を背景に政策決定権をも実質的に掌握する。一方、損失者は非常に多数の未組織で匿名の人々であり、
たいていは自らが損失者との認識がなく、これらの問題に関して経済的観点からの強い世論形成を困難としている。
過去、開発計画・核燃サイクルに批判的な勢力は、公害や原子力災害からの生命、生活防衛を第一義的理由として活動し、
ここに検討した損失者としての経済面における不満は主要な動機ではなかった。損失者である広範で多様な国民が、
開発計画・核燃サイクルでの損益関係に大きな不満をもつなら、国民全体の利益である社会的公正により近い状況を実現する世論やそれを基盤とする政治力を形成できる。
もっとも原子力災害が現実となれば、生命、生活にたいする甚大な脅威、環境汚染と地域内生産物の市場からの追放で被害額は膨大になり、
生命や人権のみならず経済面でもきわめて深刻な状況を引き起こす。さらに原子力災害は民間保険では補償額に上限がもうけられ、
それ以上の補償については制度上、国が肩代わりをすることになっている。こうした最悪の状況においても、
最終的には国民が損失者としてすでに想定されている。
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