氏   名
こづか ちから
小塚 力
本籍(国籍)
秋田県
学位の種類
博士(農学)
学位記番号
連研 第196号
学位授与年月日
平成 14年 3月 23日
学位授与の要件
学位規則第4条第1項該当 課程博士
研究科及び専攻
連合農学研究科 生物生産科学専攻
学位論文題目
日本海北部沿岸地域における海岸林造成の史的展開
―秋田県・山形県の国有海岸保安林の事例―
(The historical studies on developing process of coastal forestation in the North-Eastern Coast along the Sea of Japan
―In the case of national coastal protection forest in Akita Prefecture and Yamagata Prefecture―)
論文の内容の要旨

1.問題の所在
 今日、日本海北部海岸林においては、林野利用の遊休化による従来の保全・維持組織崩壊と 空洞化の進行による環境破壊が表面化している。こうした問題は、この地域の海岸林の中心が 国有林であることから、その動向とも密接に関係するものである。従って本論文では、主に 秋田県と山形県における海岸造林の展開過程を国有林経営との関係から分析し、海岸林が おかれている現状を考察した。

2.幕藩体制下における海岸造林
 幕藩体制下における海岸造林の背景として、①過度の林野利用(製塩・漁業)による荒廃、 ②新田開発、③海岸防備体制の強化などがあげられる。これらの造林は分収造林を基本とし、 クロマツだけでなくネムノキやグミ、ヤナギ等が混植された。またこうして成立した海岸林 には、どの程度植林に貢献したかに応じて、数か村による入会利用が展開した。

3.戦前期における海岸造林
 幕藩体制下において成立した海岸林は、1873年年から始まる地租改正・官民有区分事業に おいて、そのほとんどが官有地に編入される。これは、1886年の大小林区署官制の公布に よって官林の直轄化が始まり、また1899年の国有林野法の公布によって国有林経営が本格化 するに従い、地域住民による林野利用は排除され、払い下げも困難な状況になっていった。 従って、地域住民は農漁業用及び生活用資材を得るため、遠方に代替地を設定するか、国有林 内に委託林契約をするしかなかった。

 一方、海岸造林は1899年より始まる国有林野特別経営事業において開始され、また 1932年より始まる救農土木事業によって飛躍的にその規模を拡大する。その過程で国有海岸 林内に委託林契約をした地域住民は「恩恵と義務」という片務関係のもとでその管理組織に 内包され、また造林労働に貢献した。

4.戦後期における海岸造林
 戦後の海岸造林は、終戦直後の食糧問題と失業者対策を背景に展開されることとなる。前者 については、1945年に「緊急開拓事業実施要領」が閣議決定されて以降、農用地造成を目的と した防風林造成が展開した。後者についてはG.H.Qの指令により政府予算科目に「公共事業費」 が設けられ、失業者対策としての公共事業が展開されることとなる。治山事業もこの公共事業の 中に組み込まれ、日本海北部沿岸地域では主に崩壊地復旧と海岸砂地造林が行われた。これは 当初、終戦直後の経済的混乱を背景に極めて低水準で推移したが、1950年の朝鮮特需を契機と する国有林経営の好転により、その財政的基盤を得て海岸造林は大幅に展開した。しかし、 こうした海岸造林は1970年代に入り、その主力樹種であるクロマツの新植はほぼ終了し、以後、 補植を中心とする海岸林の育成へとその比重は移っていった。

5.海岸林利用の後退と開発  1960年代初頭より始まる高度経済成長は農漁業の「近代化」を推し進め、これによって海岸林 の農漁民的林野利用は後退した。一方で1962年に「全国総合開発計画」(1全総)が策定されて 以降、国土開発政策が急速に進行することとなる。そして、農漁民的林野利用の後退によって 遊休化した海岸林は、工業用地の開発対象とされ、その伐採が大規模に展開した。日本海沿岸地域 では、新潟、富山の臨海整備が先行するが、1970年代に入り、酒田北港、秋田の臨海工業団地が 整備され、それにともなって海岸林の伐採が進んだ。

6.海岸林をめぐる新たな動向
 戦前期の海岸林の管理と造成は、地元民の海岸林利用を梃子に委託林などの地元施設によって、 その労働力を確保してきた。これは戦後、1951年の国有林野法改正にともない、委託林制度が 廃止されたため、地元組織を国有林の管理組織に内包することが出来なくなったが、その「近代化」 として新たな「国有林保護組合」などに再編しつつ、また高度経済成長期の国有林経営の好調に 支えられて海岸造林は進められてきた。しかしながら1970年代後半以降、国有林経営が下降線を たどる中、その組織・要員は合理化・縮小を余儀なくされる。また、かつて海岸林の管理・造成を 担ってきた地元組織もすでに農漁民的林野利用の終焉によって海岸林との接点は途切れ、今日では 管理主体の空洞化が起こっている状況である。

 こうした中で、国有海岸林においては最近、盛んにレクリエーション事業が展開され、以後の 管理を地元自治体や住民に委ねる事例が増えつつある。これについて本論文では、主に秋田県の 能代市、本荘市、山形県の酒田市の事例を取り上げた。その中で本荘市と酒田市では森林管理署が 事業主体となる「生活環境保全林整備事業」が行われ、管理協定の下で実際に国有海岸林を市が 委託管理し(酒田市)、あるいは市が管理する方向で事業が進められている(本荘市)。しかし ながら、事業実施段階から地元自治体が関与することは少なく、自治体の管理能力を超えた施設整備が なされるため、技術的・財政的問題から十分な管理が行われていない。また、その補完的措置としての ボランティア活動も、その流動的性格から管理組織として固定化するのが困難な状況にある。一方、 能代市においては市が管理までを見通して整備事業を行ったため、自治体内部に設けられた管理組織を 軸に住民主体の管理が行われ、一定の成果を収めている。

 従って、日本の国有林の本質的問題を検討しつつ、地域の住民自治を基礎とする新たな公的管理 システムの構築、とりわけその下での多様な住民の組織化が不可欠である。