氏   名
Araki,etsuko
荒 木 悦 子
本籍(国籍)
東京都
学位の種類
博士(農学)
学位記番号
甲 第136号
学位授与年月日
平成12年3月24日
学位授与の要件
学位規則第4条第1項該当
専  攻
生物生産科学専攻
学位論文題目
Genetic studies of amylose content and its related traits in wheat endosperm starch
(コムギ胚乳デンプンのアミロース含量と関連形質の遺伝学的研究)

論文の内容の要旨

 世界で生産される穀物の30%強を占めるコムギ(Triticum aestivum L.)は, パンや麺など多様な食品に加工されるため, 育種事業では農業特性や収量の向上とともに市場性の高い品質特性への改良が重要視される. 小麦粉の主要成分である種子胚乳デンプンはアミロースとアミロペクチンで構成され, それらの比率(以下, アミロース含量)は小麦粉製品の加工適性や食味に大きく影響する. アミロースとアミロペクチンはともにADPグルコースを基質として, 前者は顆粒結合型デンプン合成酵素(GBSS, Wxタンパク質)によって, 後者は可溶性デンプン合成酵素とデンプン枝作り酵素によって胚乳内のアミロプラストで合成される. デンプン生合成の基本的な生化学的機構および遺伝機構を理解した上で, それら酵素をコードする遺伝子の育種的操作によってデンプン特性の改良が大きく向上すると考えられる. したがって, 計画的かつ効率良く育種をすすめる上で, これらの遺伝子がアミロースやアミロペクチン合成に与える影響や加工適性に対する影響を明らかにすることが重要である.

 本研究では以上の立場から, Wxタンパク質をコードする同祖的な3つのWx遺伝子, Wx-A1(7A染色体短腕), Wx-B1(4A染色体長腕), Wx-D1(7D染色体短腕)に着目し, それらのアミロース合成能力の差異およびデンプン分子構造, デンプンの粘弾性, 出穂日や収量などの農業形質に対する効果を調査, 検討した.

 まず, 3つのWxタンパク質を全て欠失したモチタイプから, 全て発現する野生型までの計8タイプのWxタンパク質欠失系統を用いた試験で, アミロース含量には0%から25%の変異があり, そのほとんどがWx座の対立遺伝子の違いで説明できることを示した. Wxタンパク質の二重欠失すなわち3Wx遺伝子のいずれか一つが発現する3タイプの結果をもとに個々のWx遺伝子のアミロース合成能力を比較したところ, Wx-B1aが最も高く, 次いでWx-D1a, Wx-A1aの順であることをはじめて明らかにした. 一方, 3Wx座のいずれか一つにnull対立遺伝子をもつ3タイプの比較から, Wx-A1b, Wx-D1bに比べWx-B1bが最もアミロース含量を低下させることが分かった. 3Wx遺伝子のアミロース合成能の差異はそれぞれがコードするWxタンパク質の量と相関していた.

 緑藻の1種であるChlamydomonas reinhardtiiではGBSS活性をもたない突然変異体で, アミロースの欠如とともにアミロペクチンに構造変異が起こっていることが知られているが, 高等植物では詳しい報告はない. コムギでこの点を検討するために, 前述の8タイプにおけるアミロペクチンの側鎖長分布を高速イオン交換クロマトグラフィーで分析した. その結果, モチ性を含むタイプ間には量的差異がなかったことから, コムギではnull対立遺伝子によるGBSS活性の低下はアミロペクチンの鎖長構造に影響しないと結論した.

 先に示したように, Wx-B1座が最も大きくアミロース含量に影響を及ぼし, またnull対立遺伝子はわが国のみならず欧米のコムギ育種計画に広く利用されている. そこでWx-B1座およびその近傍の農業形質(収量, 出穂日, 草丈)に対する量的遺伝子座(Quantitative trait loci; QTL)の効果を知るため, 4A染色体組換え系統を用いて, DNAマーカーによる遺伝学的地図を構築し, それと並行して2年間の圃場試験を実施し農業形質を評価した. その結果Wx-B1座の連鎖ブロックの中に出穂日と草丈のQTLが検出された. 収量およびその構成形質のQTLはWx-B1座とは独立して短腕上にマップされた. このことより, Wx-B1座の遺伝操作が収量に及ぼす影響は大きくないと推察された.

 アミロース含量とデンプン糊化時の粘弾性は, 小麦粉加工品の品質を評価する上で主要な形質である. これまで, アミロース含量と粘弾性の間に負の相関が指摘され, Wx座の粘弾性への効果が示唆されるが, その関係は明確でなかった. そこで, Wx遺伝子が座乗する7A, 4A, 7D染色体それぞれの組換え系統集団を用いて, 粘弾性の変異とWx座との関係を解析した. いずれの集団でもアミロース含量とブレークダウンの間に負の相関関係があったが, 4A染色体集団ではWx-B1bによるアミロース含量の低下が明らかに最高粘度とブレークダウンを高め, 加えてアミロース含量と粘弾性に影響する効果の小さいQTLが動原体近傍の短腕に検出された. 7A染色体のWx-A1座の粘弾性に対する効果は認められなかった. 7D染色体のWx-D1座では, Wx-B1座より効果は小さいがnull対立遺伝子がブレークダウンを高めることが分かった.

 最後に本実験結果から, デンプン生合成特にアミロース合成の機構とその育種的操作について,  関連する既往の知見を交えて考察し, いくつかの可能性と将来研究への残された課題を提示した.