氏   名
Takeda,kyoji
武 田 共 治
本籍(国籍)
岩手県
学位の種類
博士(農学)
学位記番号
乙 第21号
学位授与年月日
平成10年6月23日
学位授与の要件
学位規則第4条第2項該当
学位論文題目
日本農本主義の構造
-老農農本主義、官僚農本主義、教学農本主義、社会運動農本主義、アカデミズム農本主義の比較検討を通して-

論文の内容の要旨

 国民の圧倒的多数を耕作農民が占める戦前社会では、耕作農民の共感なしに、どんな社会勢力も成立・存続が不可能である。そうした中で、農本主義は絶大な影響力を行使し得た。これは、農本主義が〈農民的なもの〉を探り出すことに成功していたことを示す。だから、農本主義は、農民理解の学たらんとする農村社会学の研究対象として重要である。本論文では、老農農本主義(経営主体)、官僚農本主義(権力)、教学農本主義(思想)、社会運動農本主義(思想)、アカデミズム農本主義(科学)の比較検討を通して、日本農本主義の構造を解明することを課題とした。そのため、可能な限り多数の農本主義者を検討しなければならなかった。第一編「日本農本主義研究の課題」では、先行研究を整理・検討した。農本主義研究は、多様な関心(支配、生活リアリティ、土着思想)が見られ、農本主義の本質理解にも支配思想と見る立場や自然観から説く立場があり、農本主義者の系列化も多様になされていた。それらの総合的理解や再検討を本論文の具体的課題とした。それが、全体としての農本主義の「構造」を捉える上で重要であると考えたのである。第二編「日本農本主義の歴史的展開」では、老農(二宮尊徳、中村直三、石川理紀之助、清水久衛など)、開明派官僚(大久保利道、松方正義など)、保守国粋派官僚(品川弥二郎、平田東助、前田正名、岡田温)、革新官僚(石黒忠篤など)、教学(萩生徂来、荘内教学、加藤完治、菅原兵治)、アカデミズム(新渡戸稲造、横井時敬、柳田国男、有賀喜左衛門)、社会運動家(横田英夫、山崎延吉、権藤成卿、橘孝三郎、石原莞爾)、さらに、山形県庄内地方を事例に、加藤完治派の山木武夫、菅原兵治派の長南七右衛門、石原莞爾派の平田安治などを取り上げ、彼等の主張を検討した。その際、五期に時代区分を行い、五章構成として、彼等を位置づけた。その結果、開明派官僚、新渡戸稲造、横井時敬は、農本主義に含めるべきではないとの結論を得た。第三編「日本農本主義の比較分析」では、第一に、第二編における各種農本主義の検討を基礎に、農本主義の特徴を「農業主義」、「小農主義」、「家族主義」、「勤労主義」、「愛国主義・日本主義」に求め、各種農本主義の比較検討を行った。第二に、農本主義の性格として、思想的性格と階級的性格について、各種農本主義の比較検討を行った。第三に、マルクス主義と農本主義・農村社会学の相互批判を検討した。以上の検討を基礎に、結論「日本農本主義の全体構造」において、農本主義の「構造」の土台は、耕作農民が大地・大自然に立ち向かうところの〈心持ち〉=〈感覚・心情・考え方〉にあると結論付けた。それを示すのが、石川理紀之助において指摘した〈総合的判断性〉、〈待ちの思想〉などであり、『善治日誌』で解明された伊藤善治の「自覚された自己規制的行動」であった。それは、「家の論理」と対応するものであるが、決して、非合理的で、精神主義的な考え方ではなかった。各種農本主義は、こうした耕作農民の自己規制の〈感覚・心情・考え方〉を基礎構造として、その応用構造を構成しているのである。すなわち、老農農本主義は、それを勤労や節検として明示化し、共通の自己規制を求める者同士の共同と連帯をもって、生活の自衛・自立を図ろうとした。教学農本主義は、それを農民道や農士道として道徳化し、国家意識や日本精神などに結び付け、天皇制国家と耕作農民の調和を図ろうとした。保守官僚農本主義は、老農農本主義を農政に取り込み、老農を通して、耕作農民の自己規制を社会秩序維持の手段として活用し、老農の力を農政の遂行・浸透の力として活用しようとしたし、小作擁護的な革新官僚農本主義はそれを国家奉仕に結び付け、国家統制に対する自覚的同調を引き出す。社会運動農本主義は、それを自治主体の形成という運動目標に反映させ、そこから、耕作農民が主人公となる農本型理想社会を構想する。アカデミズム農本主義は、それを内省的方法や構造的意味理解の方法を用いて再構成し、それを日本社会の重要な構成要件と位置づけることで、農本型社会を理想化するのである。しかし、全体としての応用構造には、〈多様性〉、〈非体系性〉、〈状況規定性〉、〈矛盾性〉などが認められる。これを内的動因として、外的動因(地主制の展開、資本主義の発展)が作用しあって、農本主義は歴史的に展開するというのが、本論文の結論である。その際、従来の農本主義研究は、農本主義の主張が、〈農一切主義〉から〈工商との共存共栄主義〉へ、さらに〈非農業への奉仕主義〉へと展開すると考えているが、〈非農業への奉仕主義〉は二宮尊徳の「推譲」の思想にも認められるし、権藤成卿、橘孝三郎、石原莞爾などは、〈農による商工浄化主義〉であったことを考えれば、それは適切ではないと言わなければならない。